「ヨハネス18世 (ローマ教皇)」の版間の差分
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'''ヨハネス18世'''
[[ローマ]]の聖職者レオの子として[[ラパニャーノ]]にて生まれる。本名は'''ジョヴァンニ・ファサーノ'''(Giovanni Fasano)。[[ラテン語]]名は'''ヨハネス・ファサヌス'''(Ioannes Fasanus)。
伝承によれば、教皇在任中はずっと、ローマを支配する一門であるクレスケンティウス一族の首領にしてパトリキウス(貴族階級の軍事指導者)であるヨハネス・クレスケンティウス3世に従属させられていた。この期間はまた、のちに[[
教皇としてヨハネス18世は細かな教会組織の管理に専心した。また[[スラヴ人]]への布教活動の前線として[[バイエルン州|バイエルン]]の都市[[バンベルク]]に[[司教|司教座]]を制定した。バンベルク司教座は皇帝ハインリヒ2世にとっても重要なものであった。そしてフルーリー修道院長とサンス司教・[[オルレアン]]司教の諍いの裁定もおこなった。
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最終的にヨハネス18世は退位してのちローマの修道院に入り、そこですぐに死去した。
「教皇ヨハネス」の番号について、[[ヨハネス16世 (対立教皇)|ヨハネス16世]]が[[対立教皇]]であるため、正確にはヨハネス18世は17番目の「教皇ヨハネス」である。しかし当時ヨハネス16世を正統な教皇と見做していたため、16番目の「教皇ヨハネス」は[[ヨハネス17世 (ローマ教皇)|ヨハネス17世]]と称し、ヨハネス18世もこれに続いた。また、[[ヨハネス14世 (ローマ教皇)|14世]]と[[ヨハネス15世 (ローマ教皇)|15世]]の間にもう一人の「教皇ヨハネス」がいたという説があり、その伝説の教皇を「16世」とすることがあったことから、一部の
{{ローマ教皇|第141代:1004年 - 1009年}}
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▲[[Category:教皇|よはねす18]]
[[Category:10世紀生]]
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