「ながい旅」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
3行目:
 
== 背景 ==
大岡昇平は、[[1965年]]([[昭和40年]])『巣鴨の十三階段』の著者、岡田資中将のことを知る。[[1968年]]から岡田の伝記を書くことを構想していた<ref name="zuroku">神奈川文学振興会編『大岡昇平の世界展』県立神奈川県近代文学館 2020.3.203.20 p.57 {{全国書誌番号|23370807}} </ref>。作品の取材に[[名古屋]]、[[横浜]]、[[玉川学園]]で調査したが、裁判記録はアメリカにあり、被告の一人である成田喜久基氏のとったメモの写ししかなく、事件のぼんやりとした輪郭がわかるのみであった<ref name="tankoubon"/>。アメリカにある裁判記録は公開されておらず、作品にすることはできなかった<ref name="zuroku"/>。
 
この岡田の法廷闘争について少しでも書いておきたいと、「私の中の日本人」に「一人の日本人」という題で[[新潮社]]のPR誌『波』[[1973年]]1月号に原稿を執筆している<ref name="zuroku"/><ref>中井正義『大岡昇平ノート』沖積舎 1991年8月20日 p.311</ref>。この原稿の中で、岡田資の遺稿から文章を引用し、事件の概略を紹介している<ref name="tankoubon">大岡昇平『ながい旅』 新潮社 1982年5月15日 p.236-237</ref>。