「原子力超特急スーパートレイン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
2行目:
 
== 概要 ==
放送を開始した1979年当時、NBCは視聴率で[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]]、[[CBS]]に大きく引き離され、全米トップ20中、NBCの番組は「[[大草原の小さな家]]」だけという体たらくが続いていた。この低迷を打破すべく、前年にNBC社長に就任した[[フレッド・シルバーマン]]は、様々な新番組を送りだした。その中の1つが「[[刑事コロンボ]]」のファンとスタッフの猛反発を押し切り2月にスタートした「[[ミセス・コロンボ]]」であり、同時期にスタートしたこの「スーパートレイン」であった。当初この作品は[[ダン・カーティス]]が「列車を舞台としたサスペンス作品」として同年秋の開始を目指して制作を進めていたが、一刻も早く高視聴率番組がほしいシルバーマンが500万ドルもの予算をつぎ込み、列車セット、ミニチュア、物語の起点となる「グランド・セントラル・ターミナル」駅のセットを完成させ、強引に2月スタートにこぎつけた。
 
こうして、原子力エンジンを搭載し、時速200マイル(約320キロ)で[[ニューヨーク]]-[[ロサンゼルス]]間を36時間で走行し、レストランやバーから映画館、プール、医務室、美容室、トレーニングジム、ディスコまで備える「夢の豪華超特急」は2月7日、カーティス自身がメガホンをとった2時間スペシャルで「出発進行」となった。NBC側の期待は大きかったが、いざ放送されるや「列車版ラブ・ボート」とまで呼ばれたドラマ内容は概ね不評で、回を追うごとに視聴率は低下。思わぬ不評にNBCは2月17日に朝の情報番組「[[トゥデイ (テレビ番組)|Today]]」で製作風景を大々的に紹介するなど盛り上げに努めたが、視聴率低下に歯止めがかからず第5回が放送されたところで番組は一旦中断。1ヶ月後に番組は再開するが、放送時間は水曜19時台から土曜22時台に格下げ、9人もいたレギュラーの「乗務員」は車掌役の[[エドワード・アンドリュース]]、[[アラン・アルダ]]の父ロバート、後に「[[俺がハマーだ!]]」でトランク署長を演じたハリソン・ペイジを残し全員「途中下車」、さらにカーティスもプロデューサーを解任された。その後、新たにレギュラーを2人加えたり、笑い声の効果音を取り入れるなど迷走が続き、5月に第9回が放送されたところでスーパートレインはあえなく「[[廃線]]」となった。米国参加ボイコットにより広告収入大幅減を強いられた翌年の[[モスクワオリンピック]]中継と共に、NBCに莫大な負債をもたらしたこの作品は、今もなお「アメリカTV界7大失敗作の1つ」に数えられている<ref>[http://www.businesspundit.com/7-of-the-most-expensive-flops-in-television-history/ 7 Of The Most Expensive Flops In Television History] Business Pundit 2010年1月31日</ref>。