「ルキウス・カエサル」の版間の差分

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ルキウスが誕生した年に兄ガイウスとともにアウグストゥスの養子となり'''ルキウス・ユリウス・カエサル・ウィプサニアヌス'''と名を変えた。以降後継者として育てられ、15歳となった[[紀元前2年]]には養父アウグストゥスによって[[2年|紀元2年]]の[[執政官|執政官(コンスル)]]に指名され、[[元老院 (ローマ)]]に議席を得た。このとき兄ガイウス同様騎士階級から「青年の第一人者」(プリンケプス・ユウェントゥティス、Princeps Juventutis)の称号を贈られている。アウグストゥスはガイウスに対しても同様の待遇を与えているが、2人を元老院議員とするために[[紀元前5年]]と[[紀元前2年]]に自ら執政官に就任している。予定執政官となったこの年、アエミリア・レピダと婚約し、軍務のキャリアをスタートさせる。しかし同年に、予定されていたコンスルに就任する前にマッシリア(現在の[[マルセイユ]])で没した。ヒスパニアに向かう途中だった。
 
ルキウスの死の2年後には兄ガイウスも夭折し、アウグストゥスは後継者候補に妻[[リウィア・ドルシッラ]]の連れ子であった[[ティベリウス]]を選ばざるを得なくなった。ガイウスが死んだ紀元4年にアウグストゥスはティベリウスをルキウスの弟アグリッパ・ポストゥムスと共に養子としている。
 
==家族==