「千日デパート火災」の版間の差分

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m →‎火災の経過: 「当直員2人の行動」および「地上にいたホステスの火災覚知」について加筆。細部編集。
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→‎逃げ場のない暗闇のガス室: 記述の誤りを訂正。
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22時44分、消防隊はデパート保安係に対し、デパートビル1階の北東正面出入口と北西E出入口のシャッターを開けるよう命じた{{sfn|室崎|1981|p=39}}。これは消防隊がビル内に進入して消火活動するために開けさせたものだが、この直後に7階への煙の流入量がより一層増すことになった{{sfn|室崎|1981|p=39}}。消防隊を正面入口へ誘導した保安係員2名は、1階売り場の屋内消火栓から消防ホースを引っ張り出してエスカレーターを駆け上り、延焼が始まった2階に向けて放水したが、効果は限定的で火災を消火することはできなかった{{sfn|大阪市消防局|1972|p=6}}{{sfn|判例時報|1975|p=31}}。一方プレイタウンでホール内へ押し戻された人々は、エレベーターにも乗れず、非常階段も使えず、7階から完全に逃げ場を失い孤立状態になってしまった{{sfn|村上|1986|pp=74,77}}。避難者たちは、どこへ逃げていいのかもわからないまま、避難行動は自主性のないものになってしまい、パニック状態に拍車が掛かっていった{{sfn|村上|1986|pp=62–63,74–75}}。ホール内に押し戻された人の中で窓際やステージ裏の小部屋(ボーイ室、バンドマン控室、タレント控室の計3室)に移動できた人が窓ガラスを割り、救助を求め出したのはこのころである{{sfn|室崎|1981|p=41}}。またホステス更衣室にいた人たちは、この時点ですでに孤立状態となっていたが、なんとか事務所からE階段出入口の鍵を取り出し、ドアを解錠して脱出を図ろうとした{{sfn|判例時報|1988|p=60}}。しかし、E階段はすでに多量の黒煙で汚染されており、鉄扉を解放したことで多量の煙を更衣室に流入させることになった{{sfn|判例時報|1988|p=60}}{{efn|name="E-stairsKey"}}。このころには事務所前の換気ダクトから噴き出す猛煙と熱気により事務所のほうへ近づくどころか、更衣室に繋がる廊下に出ることもできない状態になっていた{{sfn|室崎|1981|p=39}}{{sfn|判例時報|1988|pp=59–60}}。
 
22時45分、34階がフラッシュオーバーを起こし、火災は同フロア全体に燃え広がった{{sfn|室崎|1981|p=42}}。このころプレイタウン店内を逃げ惑っていたある集団は、ボーイの案内でホール西側の物置の中に入り込んだ{{sfn|室崎|1981|p=37}}。そこは、つい1か月ほど前までプレイタウンが6階でも営業していたときの連絡通路(スロープ)があった場所で、ボウリング場改装工事が始まるのをきっかけに6階旧営業エリアと旧連絡通路が同時に廃止され、資材置場として使われていた{{sfn|判例時報|1988|p=52}}<ref>「サンケイ新聞」1972年5月20日 大阪本社版朝刊15面</ref>。その旧通路部分を仮閉鎖するためにベニヤ板で仕切りを作っていたため、その事情を知っていた者は板を破るか物置の中に入りさえすれば簡単に6階へ避難できるはずだと考え、避難者を資材置場内へ誘導した。確かに数日前まではベニヤ板による仮閉鎖の状態で、一部の従業員はそのことを確認していた{{efn|name="6F7F-Wall"}}<ref>「サンケイ新聞」1972年5月20日 大阪本社版朝刊15面</ref>。ところが工事が予想外に進捗していて、遮る物が何もなかったベニヤ板の仕切りの内側に厚さ27センチメートルのコンクリートブロックが積み上げられ、知らない間に頑丈な壁が全面に築かれていた{{sfn|室崎|1981|p=37}}<ref>「サンケイ新聞」1972年5月20日 大阪本社版朝刊15面</ref>。照明もない暗がりの袋小路に入り込み、行き場を失った人たちは、コンクリートブロック製の壁を壊そうと塀を足で蹴ったり、床に落ちていたコンクリートの破片を手に持って叩いたりした。極限のパニック状態で冷静さを失った人たちは煙を大量に吸いこみ、物置の内部とその周辺で力尽きていった{{sfn|安倍|1974|pp=110–133}}{{sfn|大阪市消防局警備課|1972|p=8}}{{sfn|室崎|1981|p=37}}<ref>「サンケイ新聞」1972年5月20日 大阪本社版朝刊15面</ref>。
 
22時46分、延焼階に対して消防隊による放水が開始された{{sfn|村上|1986|p=66}}。そして42階がフラッシュオーバーを起こした{{sfn|室崎|1981|p=42}}。プレイタウンでは、窓際に移動した従業員の1人によって北東側の金網窓(観音開き)が開けられ{{sfn|判例時報|1988|p=59}}、窓下に設置してあった[[救助袋]]が地上に投下された{{sfn|判例時報|1988|p=59}}{{sfn|室崎|1981|p=45}}{{sfn|岸本|2002|p=23}}。しかし救助袋の先端には「地上誘導用の砂袋(おもり)」が括りつけられておらず{{sfn|判例時報|1988|p=59}}{{sfn|岸本|2002|p=23}}、救助袋は2階のネオンサインに引っ掛かってしまった{{sfn|室崎|1981|p=45}}{{sfn|岸本|2002|p=24}}。消防隊員の手により救助袋は地上へ降ろされ(22時47分){{sfn|判例時報|1988|p=59}}{{sfn|岸本|2002|p=24}}、救助袋先端の把持(はじ)を通行人らに頼んで7階からの脱出準備が整ったかのように見えたが(22時49分){{sfn|判例時報|1988|p=59}}{{sfn|岸本|2002|p=24}}、救助袋の正しい使用方法「上枠を180度上方へ引き起こし、袋の入口を開いて、袋の中に入って滑り降りる」ということを7階で知っている者が誰もいなかった{{sfn|判例時報|1988|p=60}}{{sfn|岸本|2002|p=24}}。「入口」を開けなかったばかりに、救助袋は平たく帯状に垂れ下がり、本来の救助器具としての機能を発揮するには程遠い状態となっていた{{sfn|判例時報|1988|p=60}}。
 
22時47分、支配人らはステージ西隣のF階段(らせん状階段)を使って屋上へ脱出しようとした{{sfn|岸本|2002|p=20}}。調理場東隣のF階段出入口の鉄扉を開けるには、事務所の中に保管してある鍵を取りにいく必要があったが{{sfn|村上,高野|1972|pp=18–20}}、事務所前の換気ダクトから絶え間なく噴き出す猛煙と熱気で事務所に近づけそうになかった。そこで支配人は、扉に体当たりしたり、テーブルの脚をドアノブに叩きつけたりするなどして鉄扉をこじ開けようと試みたが、結局失敗に終わった{{efn|name="F-stairsKey"}}{{sfn|岸本|2002|p=20}}{{sfn|判例時報|1988|p=63}}。