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フン帝国の崩壊後、フン族は東ヨーロッパ一帯に子孫を残したが、彼らがかつての栄光を取り戻すことはなかった。その理由の一つはブルガール人やマジャール人、[[ジョチ・ウルス|金帳汗国]]と異なり、フン族が税制や官僚制度といった完全な国家機構を確立することがなかったためである。いったん組織が崩れると、フン族はより組織化された政治体に吸収されてしまった。彼らの後の[[アヴァール]]と異なり、一度フン族の政治的統一が崩れると、フン族はアッティラを頂く多民族帝国になっていたため、それを再建する手段はなかった。フン族は(少なくとも通常は)様々な人々の大群を含んでおり、彼らの各々が自らをフン族の「子孫」であると考えていた。しかしながら、フン族は固有の人民や国家ではなく政治的産物であったので、454年の敗北がこの政治体の終わりとなった。その後に発生した新たな政治体は、以前のフン族連合の人々から構成されており、同じステップ文化を継承していたが、彼らは新たな政治的産物である。
 
後の多くの国々がフン族の民族的、文化的後継者であると主張している。[[{{ill|ブルガール王侯表]]([[:|en:|Nominalia of the Bulgarian Khans|en]])}}は、ブルガリア王家がアッティラの子孫であると信じていたことを示している。[[ブルガール人]]はおそらくフン族の民族同盟の主要構成員であったであろう。フン族とブルガール人の文化には幾つかの類似があり、例えば人工的[[頭蓋変形]]の習慣などの考古学的証拠は、両者の強い連続性を示唆する。フン族とブルガール人の最も特徴的な武器(複合弓や長く垂直の両刃の剣など)はその外観がほとんど同じである。何人かの学者は[[チュヴァシ語]]([[ブルガール語]]の後裔であると信じられている)は[[フン語]]に最も近い同族言語であると仮説を立てた<ref>Encyclopaedia Britannica, 1997: ''Turkic languages''.<blockquote>"''Formerly, scholars considered [[:en:Chuvash|Chuvash]] probably spoken by the Huns.''"</blockquote></ref>。
 
[[マジャル人]](ハンガリー人)はフン族の相続者たるを特に強く主張している<ref>アンビス、p7-9</ref>。マジャル族はフン部族連合が消滅した約450年後の[[9世紀]]末に現在のハンガリー地方に定住し始めたが、マジャル起源伝説を含むハンガリー先史時代([[:en:Hungarian prehistory|en]])は幾つかの歴史的事実を残しているとされる。ヨーロッパを侵略したフン族は様々な人々の緩やかな連合を代表し、マジャル人の幾らかもその一部であったろうし、または後になって依然としてフン族を名乗っていたアッティラの子孫に参加したのかもしれない。確定的な歴史学的または考古学的証拠がないにもかかわらず、[[賛称]](ハンガリー国歌)はハンガリー人を「[[ムンズク]](''Bendegúz'':[[:en:Mundzuk|en]])の血統」(アッティラの父)であると述べている。アッティラの兄[[ブレダ (フン族)|ブレダ]](''Bleda'')は現在のハンガリー語ではブダ(''Buda'')と呼ばれている。[[ブダペスト]]西側の[[ブダ]]地区は彼の名に由来するとされている。20世紀前半まで、ハンガリーの歴史学者の多くは[[セーケイ人]]はフン族の後裔であると信じていたが、現在では学界の一般的見解ではない。