「全日空羽田沖墜落事故」の版間の差分

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== 事故機に関する情報 ==
事故機である全日空60便に使用された航空機は、ボーイング727-81(100)型機(機体記号:JA8302、製造番号:18822/126)で、1965年(昭和40年)3月25日にアメリカ・ボーイング社で製造された.<ref name=AccidentIR/>。
{{疑問点範囲|なお全日空は「東京-大阪間を30分で」、「東京-札幌間を60分で」という[[広告]]を出し<ref>[https://twitter.com/dragoner_jp/status/581811050439450624 当時の全日空広告]</ref>、同社の初めての[[ジェット機]]であることを盛んに喧伝していた。なお上記の時間で飛ぶためには、有視界飛行で飛ぶことが絶対条件であった<ref>[https://twitter.com/dragoner_jp/status/581811050439450624 1965年にANAのB727機が伊丹ー羽田間を26分で飛行した記録にシミュレータで挑んだ動画 → 伊丹-羽田26分に挑む]</ref>。|date=2021年5月}}
 
なお全日空は「東京-大阪間を30分で」、「東京-札幌間を60分で」という[[広告]]を出し<ref>[https://twitter.com/dragoner_jp/status/581811050439450624 当時の全日空広告]</ref>、同社の初めての[[ジェット機]]であることを盛んに喧伝していた。なお上記の時間で飛ぶためには、有視界飛行で飛ぶことが絶対条件であった<ref>[https://twitter.com/dragoner_jp/status/581811050439450624 1965年にANAのB727機が伊丹ー羽田間を26分で飛行した記録にシミュレータで挑んだ動画 → 伊丹-羽田26分に挑む]</ref>。
 
事故までの総飛行時間は1,703時間15分で、事故直近の500時間毎に実施される定期点検後からの飛行時間は65時間11分である<ref name=AccidentIR/>。事故機は、1965年4月2日に耐空証明を取得し、同年5月に全日本空輸へ引き渡され、同月25日に国内線の主要路線に就航した。事故機の整備は全日空が担当していたが、事故に繋がるような機体の不具合は報告されていなかった<ref name=AccidentIR/>。エンジンについては、Pratt & Whitney社製のJT8D-7エンジンが3発使用されていた。第1エンジン(左側)の総使用時間は1,984時間16分、第2エンジン(中央)735時間52分、第3エンジン(右側)1,374時間40分であった<ref name=AccidentIR/>。総分解点検(オーバーホール)から事故までの使用時間は、第1エンジン5時間29分、第3エンジン717時間5分で、第1エンジンは総分解点検から間もない状態で使用されていた<ref name=AccidentIR/>。第2エンジンについては総分解点検の履歴は無く、直近の定期点検(500時間毎)からの使用時間は65時間11分だった。第3エンジンも右同様の点検を受けており、点検後の使用時間も第2エンジンと同様であった<ref name=AccidentIR/>。