「橋本敬三」の版間の差分

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* 1975年(昭和50年) 頃から操体法がマスコミで知られるようになった。
* 1993年(平成5年) 老衰のため死去。<ref>『論想集・生体の歪みを正す』 1987年、創元社、著者略歴による。</ref>
 
== 操体法の誕生 ==
橋本の回顧録によると、
「(函館での)病院時代は五年続いた。おもに外科を担当したが、なんでもやった。わからないことだらけ。医学書通りではさっぱりダメ。誰でもクリニック(臨床)に入って一年くらいのときは、一番光明を胸に抱くときだろう。それもなく、暗黒の壁に最初からぶつかるとは自業自得というのかもしれない。
 患者は、医者がダメなら民間療法に走って行く。そして、患者は民間治療である程度満足しているようだ。
 そんなら、こっちも民間治療なるものの実体を知りたい!と思って
 漁りだした。民間治療を漁るなかで、私は、痛いことをしないで、痛くない方向に動かして治す方法があることを知った。骨を動かすのである。私にはピンときた。骨格(体の基礎構造)と疾病とは関係があるな。 (生体の歪みを正すの一部から抜粋)」とあり、この体験が操体法を生み出すきっかけとなった。
 
== 主な編・著書 ==
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