「エドゥアルド・シェワルナゼ」の版間の差分

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ソ連崩壊後、グルジアの[[ズヴィアド・ガムサフルディア]]大統領は民族主義と強権政治を強め、これにより民族紛争と大量難民を生み出した。[[1992年]]1月の反ガムサフルディア派によるクーデターでガムサフルディアは[[ロシア]]の[[チェチェン共和国]]へ亡命した。混乱を極めるグルジアの国内情勢を立て直すために、かつてソ連外相としてペレストロイカを推進し、国際的に抜群の知名度を誇るシェワルナゼが擁立された。
 
1992年3月、シェワルナゼは、グルジア国家評議会議長に就任し、グルジアの最高指導者となる。1992年10月には、[[最高会議]]議長に当選。[[1995年]]8月新憲法が採択され、11月大統領に選出された。[[1999年]]、グルジア大統領の立場で来日。[[2000年]]4月には大統領に再選された。シェワルナゼ政権によって、グルジアの経済及び社会情勢は安定を見せ、市場経済への転換も軌道に乗ったが、[[アブハジア|アブハジア紛争]]に伴う難民問題やロシアとの関係など難問を抱え、さらに[[1998年]]に彼の公用車だった[[メルセデス・ベンツ・W140]]をターゲットにしたシェワルナゼ暗殺未遂事件が数度発生したことを契機に、市場経済へのプロセスが停滞し始め、それに伴い汚職の蔓延や電力やガスなどの供給不安、失業などが拡大していった。
 
=== 大統領辞任 ===