「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」の版間の差分
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{{Quotation|ビッグバン以後の宇宙の進化を研究するのは大いに結構です。しかしビッグバンそのものを探究してはなりません。なぜならそれは創造の瞬間であり、神の御業だからです。|宗教者:[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ二世]]([[1981年]]) ヴァチカン 宇宙論会議<ref>[[松井孝典]] 『宇宙誌』 <岩波現代文庫> 岩波書店 ISBN 978-4-00-600230-5 p.328</ref>}}
<!--[[ファイル:Pope Benedictus XVI january,20 2006 (2) mod.jpg|thumb|150px|left|第265代ローマ法王[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]([[1927年]] - )。本稿で論じている問題に、科学は答えることができない、と主張する。]]-->
また[[2010年]]9月、教皇[[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]([[1927年]] - )はイギリスのロンドンでの講演でこう語っている。
{{Quotation|[[人文科学]]と[[自然科学]]は、私たちの存在の諸相についての非常に貴重な理解を与えてくれます。また物理的宇宙の振る舞いについての理解を深め、人類に多大な恩恵をもたらすことに寄与してきました。しかしこうした学問は、根源的な問いには答えてくれてませんし、答えられません。それはこれがまったく違う階層での営みだからです。こうした学問は人間の心のもっとも深い所にある願望を満たすことができません。我々の起源と運命を完全に説明することもできません。人間はなぜ存在しているのか、そして、何のために存在するのかということに対しても説明することはできません。そして「'''なぜ何も無いのではなく、何かが在るのか?'''」 この問いへの完全な答えを与えることもできません。<!--
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