「テムル・クトルク」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
新しいページ: 「'''テムル・クトルク・ハン'''(تيمور قتلق خان tīmūr qutluq khān ? - 1399年)は、バトゥ家断絶後のジョチ…」
 
編集の要約なし
1行目:
'''テムル・クトルク・ハン'''(تيمور قتلق خان tīmūr qutluq khān ? - [[1399年]])は、[[バトゥ]]家断絶後の[[ジョチ・ウルス]]の[[ハーン|ハン]]。ジョチ家トカ・テムル家出身の[[テル・メリ (ジョチ家)|テムル・ベク・ハン]]の息子。[[トクタミシュ|トクタミシュ・ハン]]が[[ティムール]]に敗れた後に[[マングト]]部の[[エディゲ]]によって推戴された。[[アストラハン・ハン国]]の初代君主となったカースィム・ハンの遠祖にあたり、アストラハン王家の始祖とされることもある。
 
== 概要 ==
テムル・クトルクはジョチの13十三男トカ・テムルの末裔で、トカ・テムルの孫ノムカンを始祖とする「ノムカン家」の出身であった<ref>赤坂2005,87-90頁</ref>。ジョチ・ウルスの有力部族長たるクトゥルキヤは自らの娘をノムカン家のテムル・ベク・ハンに嫁がせており、両者の間に生まれたのがテムル・クトルクであった。クトゥルキヤの息子が[[ノガイ・オルダ]]の始祖として著名なエディゲで、テムル・クトルクはエディゲの甥にあたる<ref>坂井2007,41頁</ref>。
 
[[14世紀]]後半、ジョチ・ウルスでは西方のバトゥ家と東方のオルダ家が相継いで断絶し長い内乱状態にあったが、[[1470年代]]に東方の[[オルダ・ウルス]]ではトカ・テムル家出身の[[オロス|オロス・ハン]]が台頭しオルダ・ウルスを統一した<ref>川口1997,289-290頁</ref>。テムル・クトルクの父テムル・ベクはオロス・ハン配下の有力王族の一人で、ティムールとの戦いにも活躍した勇将であったが、オロス・ハンはティムールの支援を受けたトクタミシュに敗れた<ref>川口2002,83頁</ref>。オロスの死後、その息子[[トクタキヤ]]の短い即位を経て遠縁のテムル・ベクが地位を継承したが、自堕落な面のあるテムル・ベクは人心を失い、トクタミシュによって打倒されてしまった<ref>川口2002,83頁</ref>。
19行目:
*****ノムカン(Nomuqan >نومقان/nūmuqān)
******クトルク・テムル(Qutluq temür >قتلق تيمور/qutluq tīmūr)
*******'''[[テル・メリ (ジョチ家)|テムル・ベク・ハン]]'''(Temür beg qan >تيمور بيک خان/tīmūr bīk khān)
********'''テムル・クトルク・ハン'''(Temür qutluq qan >تيمور قتلق خان/tīmūr qutluq khān)
*********'''テムル・ハン'''(Temür qan >تيمور خان/tīmūr khān)