「ルキウス・コルネリウス・レントゥルス・クルス」の版間の差分

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レントゥルスは[[紀元前61年]]に起こった[[ボナ・デア]]祭における[[プブリウス・クロディウス・プルケル]]が冒した大失態に対する告発者の1人であった。[[紀元前58年]]に[[プラエトル]](法務官)へ選任されたが、その後も一貫して[[ガイウス・ユリウス・カエサル]]にとって最も強硬な政敵の1人であった。
 
[[ガリア]][[属州総督]]であったカエサルはガリアに留まり、軍も保持したまま[[執政官]](コンスル)選挙に立候補したい旨を要望し、[[オプティマテス|元老院派]]の一部とカエサル派の間で交渉があったものの、[[紀元前49年]]にコンスルとなったレントゥルスは「盗賊に対して必要なのは武器であり、投票では無い」と叫んだように、全てのカエサルの要求を拒絶し、[[マルクス・ポルキウス・カト・ウティケンシス|マルクス・ポルキウス・カト]]や[[ルキウス・ドミティウス・アノバルブス (紀元前54年の執政官)|ルキウス・ドミティウス・アノバルブス]]らと共に[[元老院 (ローマ)|元老院]]の流れを方向付けた。
 
[[ローマ内戦 (紀元前49年-紀元前45年)|ローマ内戦]]が始まると、レントゥルスは[[カプア]]でカエサルが開設した[[剣闘士]]養成所の剣闘士を解放して元老院派の軍に組み入れ、次いで[[アシア属州]]に赴き、同地に駐留していた2個軍団を連れてギリシアへ撤退していた[[グナエウス・ポンペイウス]]の本軍に合流した。