「ドミティア街道」の版間の差分

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==概要==
ヒスパニアからイタリアへと至る陸路であり、かつての[[カルタゴ]]の将軍[[ハンニバル]]がローマ攻略時に用いたルートともいわれる。[[ローヌ川]]から[[ピレネー山脈]]へと通じる。紀元前118年ころ、[[グナエウス・ドミティウス・アノバルブス (紀元前122年の執政官)|グナエウス・ドミティウス・アノバルブス]](Gnaeus Domitius Ahenobarbus)によって建てられた。街道の名称も彼の名をとったものである。これと時期を同じくして、ローマの植民市ナルボ・マルティウス(現ナルボンヌ)が建設された。この街道の建設は、ガリア南部の本格的な属州化を支えることになった。
 
==街道沿いの都市==