「クィントゥス・ルタティウス・カトゥルス」の版間の差分

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== 家族 ==
カトゥルスは紀元前140年の執政官[[クィントゥス・セルウィリウス・カエピオ (紀元前140年の執政官)|クィントゥス・セルウィリウス・カエピオ]]の娘セルウィリアと結婚した<ref>Münzer F., 1942, s.2073.</ref>。二人の間には、息子[[クィントゥス・ルタティウス・カトゥルス・カピトリヌス]](紀元前78年執政官)と、[[クィントゥス・ホルテンシウス・ホルタルス]](紀元前69年執政官)の妻となった娘ルタティアが生まれた<ref>キケロ『弁論家について』、III, 228.</ref>。1世紀の歴史家クィントゥス・アスコニウス・ペディアヌスが、紀元前96年の執政官[[グナエウス・ドミティウス・アノバルブス (紀元前96年の執政官)|グナエウス・ドミティウス・アノバルブス]]を、カトゥルスの甥としていることから<ref>アスコニウス・ペディアヌス『コルネリウス弁護』、80.</ref>、カトゥルスは紀元前122年の執政官[[グナエウス・ドミティウス・アノバルブス (紀元前122年の執政官)|グナエウス・ドミティウス・アノバルブス]]の娘ドミティアと結婚したとの説もあるが<ref>Lewis R. The, 1974 , r.107.</ref>、一方でこれを疑問視する向きもある<ref>Korolenkov A., 2009 , p. 216.</ref>。
 
== 知的活動 ==