「ガイウス・セクスティウス・カルウィヌス」の版間の差分

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カルウィヌスは現在の[[エクス=アン=プロヴァンス]]である「アクアエ・セクスティアエ」(セクスティウスの水)の建設で知られている。敵のエントゥレモント([[:en:Entremont (oppidum)|en]])のサルウィヌス[[オッピドゥム]](ガリア人の城市)を破壊した後に、守備兵を置いたのが始まりである<ref>[[:en:H.H. Scullard|H.H. Scullard]], ''From the Gracchi to Nero: A History of Rome from 133 B.C. to A.D. 68'' (Routledge, 1988, 5th ed.), p. 40 [https://books.google.com/books?id=1DcIx7ADqOgC&pg=PA40&dq=%22Sextius+Calvinus%22&lr=&as_drrb_is=q&as_minm_is=0&as_miny_is=&as_maxm_is=0&as_maxy_is=&num=100&as_brr=3#v=onepage&q=%22Sextius%20Calvinus%22&f=false online.]</ref>。
 
[[紀元前120年]]前後に、[[グナエウス・ドミティウス・アノバルブス (紀元前122年の執政官)|グナエウス・ドミティウス・アノバルブス]]と[[クィントゥス・ファビウス・マクシムス・アッロブリギクス]]は[[ガリア・トランサルピナ]]に遠征して[[ガリア人]]に勝利し、この地をローマの[[属州]]に組み入れた。この遠征にはカルウィヌスも参加して顕著な役割を果たしている。カルウィヌスとフラックスは、長年ローマの同盟都市であったマッシリア(現在の[[マルセイユ]])とすでにローマが支配していた[[ガリア・キサルピナ]]の間に1マイル幅の[[後方連絡線]]を確保した<ref>[[:en:Andrew Lintott|Andrew Lintott]], "The Roman Empire and Its Problems in the Late Second Century," in ''The Cambridge Ancient History'' (Cambridge University Press, 1994, 2nd rev. ed.), p. 24 [https://books.google.com/books?id=3yUkzNLiY4oC&pg=RA1-PA24&dq=%22Sextius+Calvinus%22&lr=&as_drrb_is=q&as_minm_is=0&as_miny_is=&as_maxm_is=0&as_maxy_is=&num=100&as_brr=3#v=onepage&q=%22Sextius%20Calvinus%22&f=false online.]</ref>。彼自身も紀元前122年に3つのガリア部族に勝利しており、その勝利を讃えた[[凱旋式]]を実施している。
 
== アラ・カルウィニ(カルウィヌスの祭壇) ==