「アンナ・マクダレーナ・バッハ」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[ザクセン=ヴァイセンフェルス]]公の宮廷トランペット奏者、ヨハン・カスパール・ヴィルケと[[オルガニスト]]の娘であったマルガレータ・エリーザベトの7人兄弟の末子(姉5人、兄1人)としてツァイツに生れる。母マルガレータ・エリーザベトは1718年2月頃父と共に[[ヴァイセンフェガニ]]の娘であに移ている<ref name="Higuchi1">[[#Higuchi|樋口隆一『バッハ』新潮社〈カラー版作曲家の生涯〉、1985年、110〜111頁]] </ref>
 
1720年には、[[レオポルト (アンハルト=ケーテン侯)|アンハルト=ケーテン侯レオポルト]]の宮廷[[ソプラノ]]歌手として[[ケーテン]]では有名だった。同地で1717年より[[宮廷楽長]]を務める[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ]]と知り合いとなるが、ヴィルケ家とバッハ家は、音楽家同士として早くから交流があった可能性が高い。1721年9月には、ケーテンである子供の代父母としてJ.S.バッハとともに名を連ねている<ref name="Higuchi1" />。1721年12月3日にレオポルト候の許可を得て、バッハの自宅でバッハと結婚式が行われ<ref name="Higuchi1" />。バッハは前の年に先妻の[[マリア・バルバラ・バッハ|マリア・バルバラ]]を亡くしており、アンナと再婚した時には4人の子供を抱えていた。
 
バッハとの間に、1723年から1742年までおよそ20年にわたって13人の子をなしたが、そのうち7人は早世している。生き延びた子のうち、作曲家として名をあげたのが、[[ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ]]と[[ヨハン・クリスティアン・バッハ]]であった。
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== 参考文献 ==
* マーリア・ヒューブナー著 伊藤はに子訳 『アンナ・マクダレーナ・バッハ 資料が語る生涯』春秋社 2010年
* {{Cite book|和書|author = [[樋口隆一]] |title = バッハ |year = 1985 |publisher = [[新潮社]] |series = カラー版作曲家の生涯 |isbn = 978-4-10-139701-6 |ref = Higuchi}}
 
== 関連項目 ==