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{{Maplink2|frame=yes|plain=no|type=point|frame-width=320|frame-height=240|stroke-color=#0000FF|stroke-width=1|flame-latitude=34.6658|flame-longitude=135.6714|zoom=11|text=暗峠の位置。}}
'''暗峠'''(くらがりとうげ)は、[[奈良県]][[生駒市]][[西畑町 (生駒市)|西畑町]]と[[大阪府]][[東大阪市]]東豊浦町との境にある[[国道308号]]及び[[大阪府道・奈良県道702号大阪枚岡奈良線]](重複)の[[峠]]。古くは'''闇峠'''とも書かれた。標高は455m。
 
== 概要 ==
[[暗越奈良街道]]の[[生駒山地]]における難所で、つづら折りの少ない直線的な急勾配が続く。特に大阪府側は、麓から峠まで約2.5kmにわたる勾配である。峠道の沿道や道端に、古寺や地蔵、石仏も多くあり、ハイキングコースとしても有名である{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=144-145}}。
 
峠の頂上には小さな集落があり、茶店もある。この付近の路面は[[江戸時代]]に[[郡山藩]]により敷設された石畳となっている。この50mほどあるコンクリート舗装の石畳は、暗峠が急坂であることから、[[参勤交代]]で殿様が乗った籠が滑らないようにするために敷かれたものである{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=144-145}}。なお、国道に指定されている道で石畳状の路面を呈するものは、国内で唯一この暗峠のみである{{Sfn|佐藤健太郎|2014|p=72}}。
 
「暗がり」の名称の起源は、樹木が鬱蒼と覆い繁り、昼間も暗い山越えの道であった説や、「椋嶺峠」が転じた説[http://web.oml.city.osaka.lg.jp/net/osaka/osaka_faq/63faq.html#63-200703-001]、「鞍借り」、「鞍換へ」が訛って「暗がり」となったとする異説{{要出典|date=2017年10月}}もある。上方落語[[伊勢参宮神乃賑]]の枕では、「あまりに険しいので馬の鞍がひっくり返りそうになることから、鞍返り峠と言われるようになった」と語られている[https://osaka-aoyama.repo.nii.ac.jp/action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=26&item_no=1&page_id=13&block_id=17]。
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== 歴史 ==
江戸時代に暗峠の村に大和郡山藩の[[本陣]]が置かれ、参勤交代路になっていた{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=144-145}}。同時代に刊行された『[[河内名所図会]]』には、「世に暗峠という者非ならん……(中略)……生駒の山脈続て小椋山という。故尓椋ケ根の名あり、一説尓は此山乃松杉大ひ尓繁茂し、暗かりぬればかく名付くともいう。」と記されている。また、「大阪より大和及び伊勢参宮道となり、峠村には茶屋旅舎多し」とも記されており、江戸時代後期は庶民の伊勢参宮道となり、旅籠や茶屋が立ち並び賑わっていた{{sfn|「日本の道100選」研究会|2002|pp=144-145}}。
 
[[井原西鶴]]の『[[世間胸算用]]』にはこの峠の近くで追い剥ぎが出たという記述がある。