「ニホンアシカ」の版間の差分

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生息状況の確認が古文献や聞き取り調査に限られること、生息数減少の経緯が不明なことから、生息数減少の原因を究明することはほぼ不可能と考えられている<ref name="konishi"/>。可能性のある主因として生息環境の変化・捕獲圧が原因と考えられている<ref name="konishi" />。毛皮・剥製目的の乱獲、人間の繁殖地侵入による攪乱、[[エルニーニョ現象]]による食物の分布や生息数変動による可能も考えられている<ref name="konishi" />。衰退・絶滅の主な原因は、皮と脂を取るために乱獲されたことである<ref name="gakken"/>。特に竹島においては大規模なアシカ漁による乱獲で個体数が減少したことが主要因とされ、研究者の一人である島根大学医学部(当時)の井上貴央も同様の見解を示している<ref name="tada2">『生きていた!生きている? 境界線上の動物たち』152-154頁</ref>。1950年代には日本からの大量のビニール製品や[[ソビエト連邦]]の[[原潜]]や[[核廃棄物]]の[[投棄]]など、著しく日本海が汚染された時期であり、生息環境が悪化していた点も指摘されている<ref name="tada2"/>。残った数少ない個体も保護政策は実施されず、日本の鳥獣保護法では長期間保護対象外だったことや、竹島を不法占拠してきた大韓民国でも行われなかった(後に保護対象動物には指定されている)<ref name="yomi20021214">『幻のニホンアシカ、保護へ』[[読売新聞]] 2002年12月14日([http://www2.cc22.ne.jp/hiro_ko/3-24animal.html 参考資料])</ref>。韓国による竹島の軍事要塞化や在日[[米軍]]の[[軍事演習]]実施などの軍事関係も要因として指摘されている<ref name="gakken"/>。
 
新聞による文献調査から京都市動物園<!-- 出典では京都市岡崎動物園、後述する紀念動物園もあり表記ゆれ? -->・熊本動物園(現:熊本市動植物園)・神戸市諏訪山動物園(現:神戸市立王子動物園)・[[堺水族館]]・[[天王寺動物園]]・東山動物園(現:東山動植物園)<!-- 実際にはさらに前身の鶴舞公園付属動物園? -->・[[箱崎水族館]]・[[甲子園阪神パーク|阪神パーク阪神水族館]]に収容されていた可能性がある<ref name="itoo_et_al1995" />。最も古い記録は京都市紀念動物園(現:[[京都市動物園]])で1903年の開園時に隠岐産の2頭が収容された記録がある<ref name="itoo_et_al1995"/>。[[大阪市天王寺動物園]]の6体のアシカの剥製も竹島捕獲され、戦前に同園で飼われていたニホンアシカのものであることが判明した。その中に竹島で恐れられた[[リャンコ大王|リャンコウ大王]]と呼称さたオスる巨大な雄成獣も含め、2005年現在6頭個体の剥製標本が現存しも含まれていた<ref name="tada2"/><ref name="itoo_et_al1994"/><ref name="itoo_et_al1995"/><!-- itoo_et_al1994ではリャンコだったが発行の新しい出典に従った -->。[[剥製]]は、長年他の種類のアシカやトドと思われていたり、剥製の存在自体が忘れ去られていたが、1990年代以降に相次いで所蔵されていることや種類がニホンアシカであることが判明している。現存数は全世界で約10〜15体とみられている<ref name="shimane11"/><ref name="media-club"/>。[[1886年]]([[明治]]19年)[[2月]]に[[島根県]][[松江市]][[美保関町]]で捕獲され、以来[[島根師範学校]]から[[島根大学]]に保管されていた剥製<ref>{{PDFlink|[http://museum.shimane-u.ac.jp/publication/ShimaneUniversityCollection20072.pdf Ⅱ.島根大学の主なコレクション collection]}} 島根大学{{リンク切れ|date=2020年12月}}</ref>が、1991年(平成3年)に井上貴央による調査・鑑定でニホンアシカと判明し、それが契機になり、[[大阪市先述の天王寺動物園]]の6体のアシカの剥製も竹島で捕獲され、戦前に同園で飼われていみつかっニホンアシカのものであることが判明した。その中には竹島で恐れられた[[リャンコ大王]]と呼ばれる巨大な雄の個体の剥製も含まれていた<ref name="tada2"/>。1993年(平成5年)から1998年(平成10年)にかけて[[島根県立三瓶自然館]]や井上貴央などの調査・鑑定で、[[島根県]]の[[島根県立出雲高等学校|出雲高校]]、[[島根県立大社高等学校|大社高校]]、[[島根県立松江北高等学校|松江北高校]]でもニホンアシカの剥製(1905年竹島産)が所蔵されていることが確認された<ref name="shimane11"/><ref name="media-club" />。2006年(平成18年)11月3日 - 5日に大阪市天王寺動物園で行われた「絶滅の危機にある動物展」で、保存されている剥製が初めて一般公開された。また、当時の生態を伝える10点ほどの写真があるほか、1992年(平成4年)には[[米子市]]の民家で、1940年(昭和15年)に[[竹島 (島根県)|竹島]]で撮影された貴重な映像(8ミリフィルム)が発見され<ref>{{Cite web|url=http://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1198219244416/activesqr/common/other/47a93a17002.xls|title=保存番組リスト|format=[[Microsoft Excel|Excelファイル]]|work=鳥取市視聴覚ライブラリー|pages=Sheet1|publisher=[[鳥取市]] |accessdate=2010年4月7日 |quote=整理番号312「ふるさとこの一年」(製作局:[[日本海テレビジョン放送|NKT]]、85分、1992-12-30)ふるさとの出来事をつづる映像の’92年版。ニホンアシカのフィルム発見}}{{リンク切れ|date=2020年12月}}</ref>、ニホンアシカの生き生きとした姿が収められていた。また、戦後まもない1948年のニュース映画に大阪[[淀川]]に迷入したアシカが捕獲される映像が残されている<ref>{{cite web|publisher=[[日本放送協会|NHK]] 戦後証言アーカイブス|year=1948|title=日本ニュース 戦後編大117号 チャプター (6) 淀川にアシカ現る <時の話題>(1948年(昭和23年)4月6日)|url=https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001310117_00000&seg_number=006|accessdate=2020-05-01}}</ref>。
 
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