「グレゴリウス9世 (ローマ教皇)」の版間の差分

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彼は教皇として、[[エルジェーベト (ハンガリー王女)|ハンガリーのエルジェーベト]]、[[ドミニコ]]、[[パドヴァのアントニオ]]、[[アッシジのフランチェスコ]]など多くの[[聖人]]を[[列聖]]している。グレゴリウス9世はまだ[[ヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世]]など王の影響が強かった[[イングランド王国|イングランド]]の教会への自らの影響力を強め、フランスにおいても教皇庁の影響力を強めるべく努力していた。当時のフランスでは[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]の「{{読み仮名|[[国本勅諚]]|プラグマティック・サンクション}}<ref>([[:en:Pragmatic Sanction|Pragmatic Sanction]])</ref>」を法的根拠としてローマからの独立性を主張していた。ちなみに現代ではこの国本勅諚は[[14世紀]]に作られた偽書であると考えられている。1230年には[[ドイツ騎士団]]へ勅書を授け、異教徒への武力行使を認めている。ドイツ騎士団はこれを受け、[[プロイセン]]への[[東方植民]]を開始した。
 
他の事績としては、ローマにある[[サンタ・マリア・デル・ポポロ教会]]の改築を行ったこと、[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[アンドラーシュ2世 (ハンガリー王)|アンドラーシュ2世]]を破門にしたことが挙げられる。
 
== 脚注 ==
485,902

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