「テオドロス1世ラスカリス」の版間の差分

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治世の末期には[[ビテュニア]]から[[小アジア]]に領土を広げた。政治家として高い資質に恵まれたという証拠はないものの、彼の度胸と武勲によって、東ローマ帝国民は生き長らえることができただけでなく、西欧の侵入に反撃することもできるようになったのである。
 
アンナ・アンゲリナとの最初の結婚によって、2人の娘をもうけた。長女[[イレーネー・ラスカリナ]]は[[ヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェス]]と結婚し、次女[[マリア・ラスカリナ]]は[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王[[ベーラ4世 (ハンガリー王)|ベーラ4世]]に嫁いだ。
 
[[1212年]]にアンナ・アンゲリナが崩御すると、テオドロス1世は[[アルメニア]]王ルーベン3世の娘フィリッパと再婚した。だが翌年には信仰上の理由から無効とされ、息子コンスタンティノスは[[廃嫡]]された。[[1219年]]には、ラテン帝国から、[[ピエール2世・ド・クルトネー|ピエール・ド・クルトネー]]と[[ヨランド・ド・エノー]]の皇女マリー・ド・クルトネーを皇妃に迎えるが、子宝には恵まれなかった。