「バサラブ家」の版間の差分

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バサラブの父トコメリウスも、13世紀のクマン人および[[タタール人]]の間で一般的だった ''Toq-tämir'' という名前を持っていた。ロシアの[[年代記]]では、1295年頃[[クリミア半島|クリミア]]に[[モンゴル帝国]]の王子トクトマー (''Toktomer'') がいた、とされており、トコメリウスはこの人物であると比定されている。
 
ただし、名前の起源をクマン語またはペチェネグ語に求めるのは推測に過ぎず、歴史家の間で論争になっている。同時代の人々はバサラブ家は[[ヴラフ人]]であると考えており<ref name="Vasary">{{Cite book|last=Vásáry|first=István|title=Cumans and Tatars: Oriental Military in the Pre-Ottoman Balkans, 1185-1365|url=https://books.google.com/books?id=7DJWyg97IggC&lpg=PA153&dq=a%20Vlakh%3B%20King%20Charles%20I%20speaks%20of%20him%20as%20Bazarab%20infidelis%20Olacus&pg=PA153#v=onepage&q=a%20Vlakh;%20King%20Charles%20I%20speaks%20of%20him%20as%20Bazarab%20infidelis%20Olacus&f=false|accessdate=|year=2005|publisher=Cambridge University Press|isbn=9780521837569|page=153}}</ref>、ハンガリー王[[カーロイ1世 (ハンガリー王)|カーロイ1世]]は ''{{Lang|la|Bazarab infidelis Olacus noster}}'' (「バサラブ、 危険極まるヴラフ人」)という言葉を残している。
 
== 系譜 ==