「デジデリウス・エラスムス」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
PeachPurin (会話 | 投稿記録) 冗長表現の簡素化 |
||
54行目:
=== ルターとエラスムス ===
[[1517年]]に若き聖アウグスチノ修道会員[[マルティン・ルター]]が発表した『[[95ヶ条の論題]]』は本人の予想も超えるほどの大きな反響を呼び起こした。エラスムスは当初、ルターが自分を尊敬し、自分の著作に影響されていたことを知
しかし、ルター自身の活発な活動により、事態は過激化・複雑化し、当時のドイツ情勢とからんで政治問題化していった。この
ヘンリー8世のアイデアとトマス・モアの書簡に触発され、エラスムスはカトリック教会内で古代から議論が続けられてきた[[自由意志]]の問題についての著作『[[自由意志論]]』(''De lebero Arbitrio'', 1524年)を執筆した。自由意志の問題はルター思想の骨子であったため、ルターはこれを看過できず、対抗する形で『[[奴隷意志論]]』(''De servo Arbitrio'') を発表。エラスムスはさらにそれに対する『反論』(''Hyperaspistes'', [[1526年]])を著しているが、結局これを最後にエラスムスは泥沼化したルター問題から手を引いた{{要出典|date=2016年3月10日 (木) 13:46 (UTC)}}。
|