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かつて町の中を流れていた[[シュール川]]([[:en:Sauer]])は今ルクセンブルク=ドイツ国境となっているが、[[ローマ帝国]]末期と[[メロヴィング朝]]期には、これは全て辺境領ではなかった。エヒタナハのローマ風別荘(遺構が[[1975年]]に再発見された)は、[[トリーア]][[司教座]]の一部であり、[[フランク族|フランク]]王[[ダゴベルト3世]]の娘イルミナからウィリボードへと贈られた。メロヴィング朝期のローマ遺産の一部は、[[ピピン3世]](小ピピン)から修道院へ贈られた。
エヒタナハは、[[カール大帝]]の一族から庇護を受け続けた。[[859年]]から[[971年]]の間、トリーア司教の世俗的な規律によって追われ、[[1017年]]にはウィリボード時代の建物が焼け落ちたが、左右対称の塔を備えた[[ロマネスク様式]]のバシリカは、今もウィリボードの墓のある[[納骨堂]]を中に備えている。修道院
==史跡==
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