「ニピゴン湖」の版間の差分

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[[フランス]]の[[イエズス会]]クロード・アルーズが1667年5月29日にニピゴン川の傍で最初のミサを行った。アルーズは、1649年から1650年に起こった[[イロコイ連邦|イロコイ族]]の襲来のときに、そこへ逃げてきたニピシング族インディアンの村を訪れた。イエズス会ではそこの湖が「ラク・アリミベグ」と呼ばれており、その後「アレミピゴン」あるいは「アレピゴン」と呼び方が変わった。この言葉は「連続した水」あるいは「水平線の向こうにのびる水」を意味する[[オジブウェー語]]の「アニムビイグーング」から派生した可能性がある。ある資料では、この名前が「深く、澄んだ水」とも訳されると言っているが、この記述はタマガミ湖のものである。今日、[[オジブワ]]族はニピゴン湖を「アニムビイグー・ザアガ・イガン」と呼んでいる。
 
1778年、ジョン・ミッチェルによる地図では湖を「ラゴ・ネピゴン」、その出口を「F・ネンピサキ」と記していた。1807年のジョン・キャリーによる「[[アッパー・カナダ]]と[[ローワー・カナダ]]の新しい地図」では、湖は「レイク・セント・アンあるいはウィニンピグ」と呼ばれており、川の方は「レッドストーン川」となっていた。今日、ニピゴン川沿いに住むレッドロック・ファーストネーションは、レッドストーンという名前を持っている。1827年のフィリップ・バンダーメーレンによる地図「新しいブレターニュの部分」では、湖は「L・サンテアン」と呼ばれ、川の方は「ニピゲオン川」とされている。1832年、有益な知識の融合のための協会による地図「北アメリカ、シートIV、スペリオル湖」では、湖が「セントアンあるいはレッド湖」、川は「ニーピゲオン」と呼ばれ、ガル川出口近くの高台は「ニーピゲオン・ホー」とされていた。1883年までに、レッツ・サン・アンド・カンパニーによる「カナダの統計的また一般地図」のような地図では一貫して湖を「ニピゴン湖」とするようになっていた。
 
1683年、ダニエル・グレイソロン・シュール・デュ・ルートが、ニピゴン湖傍に毛皮交易基地を設立し、その兄弟であるクロード・グレイソロン・シュール・ド・ラ・トゥーレットに因んでトゥーレット砦と名付けた。1685年のアレクシス・ヒューバート・ジェイロットの地図(ヌーベルフランスの部分)では<ref>Partie de la Nouvelle France http://www.flickr.com/photos/manitobamaps/2105367993; also, http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b67000664</ref>、この砦が湖の北東端にあるオンバビカ湾のどこか、オンバビカ川とリトルジャックフィッシュ川が注ぐ場所にあったことを示唆している<ref>A copy of this map may be viewed at