「東京六大学準硬式野球連盟」の版間の差分

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準硬式野球は軟式野球の一種として発展してきた。中空の軟式野球は小中学生や草野球で行われるスポーツで、大学軟式野球は現在でいう準硬式野球のことを指していた。中空の軟式野球が大学以上でも行われるようになると、当初は中空のボールをL号軟式(1985年の規格変更以降はA号軟式)と呼んでいたが、より区別しやすくするため次第に準硬式という名称が広まり、こちらが正式名称とされるようになっていった。それに従ってこの連盟も軟式野球連盟として始まり、準硬式野球連盟と改称したという経緯がある。
 
* 1939年 (昭和14年)- 東京六大学で軟式野球のリーグ戦が開催されるが、1941年に戦況悪化により中断される。
* 1947年 (昭和22年)- リーグ戦再開。[[東京六大学軟式野球連盟]]が正式に組織される。
* 1949年 (昭和24年)- 東都大学軟式野球連盟、関西六大学軟式野球連盟と共に明石市にて全国大会を開催。それを機に全日本大学軟式野球連盟(初代。現在の[[全日本大学軟式野球連盟]]とは異なる)が組織され、当連盟も傘下に入る。
* 1985年 (昭和60年)- 軟式野球ボールの規格変更により、準硬式球はこれまでのB号からH号への名称が変更になる。(中空軟式球はL号→A号、A号→B号、C号→C号、D号新設)
* 1992年 (平成4年)- 上部組織の全日本大学軟式野球連盟がA号軟式野球を統括する全日本学生軟式野球連盟を合併し、当連盟は全日本大学軟式野球連盟準硬式の部の傘下に入る。
* 1998年 (平成10年)- 東京六大学準硬式野球連盟に名称変更する。
* 2000年 (平成12年)- 全日本大学軟式野球連盟が軟式の部を切り離し、[[全日本大学準硬式野球連盟]]に名称変更する。
* 2020年 (令和2年)- 新型コロナウイルス感染拡大を考慮し春季リーグ戦を中止する。
 
== 対戦方法 ==
当連盟主催のリーグ戦は春と秋の年2回、2勝先取の勝ち点制、総当たりで行われ、各週土曜日からそのカードでどちらかが2勝するまで試合が行われる。ただし、次週のカードへの影響を考慮し、引き分け・悪天候などでの順延などのために水曜日までに決着が着かない場合、以降の試合は翌週以降の平日に組まれる。さらに、持ち越し先の週に行われるカードが当該日程まで決着が着かなかった場合、当初の予定にあった週の試合が優先され、持ち越されていた試合は中止となり再び日程を検討することになる。
 
たとえば2015年春季リーグ戦では雨天中止が重なり、第1週の第3戦を当該週の水曜日までに消化できなかったため、第4週にあたる4/29(日()曜日)に行った。また、第2週についても第2戦以降が同様に消化できず第2戦を5/5(日()曜日)に行い、5/6(日()曜日)を第3戦用の予備日とした。
 
各試合の延長戦は2試合予定されている日の第1試合は3時間を超えて新しいイニングに入らない。この規定や日没などの事情による打ち切りがなければ15回まで延長戦を行う。また、7回以降15点差がついた場合には得点差によるコールドゲームが適用される。
 
[[早慶戦]]を起源とする[[東京六大学野球連盟]]とは異なりリーグ戦の最終週を早慶戦とすることはなく、球場使用や上位大会との日程重複などの特別な事情のない限り以下の前シーズンの順位に応じた日程に従う。各週2カード(最終週のみ1カード)が組まれる。前者のカードが第1戦を第1試合で戦い、第2戦以降は第2試合、第1試合と繰り返される。
 
* 第1週 1位-6位、2位-5位
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== 木村杯新人戦 ==
春季リーグ戦の第8週とその翌週に行われるトーナメント方式の大会。第8週の土日に1回戦が1試合ずつ、翌週土曜日に準決勝2試合、日曜日に決勝が行われる。出場選手は基本的に1・2年生とされ、その2つの学年だけでは出場選手が不足する場合には3・4年生の出場が認められる場合がある。なお、出場予定はなくても指揮を執る存在として主将や次期主将候補者がベンチ入りするチームが多い。
 
== 開・閉会式 ==
リーグ戦第1週の試合前に開会式を、第8週の翌週に閉会式を行う。開会式では連盟理事長・会長・来賓の挨拶、審判長からの諸注意、優勝旗などの返納と選手宣誓(前シーズン優勝チームの主将が行う)が行われる。閉会式では各杯の授与と連盟理事長・会長・来賓の挨拶、個人表彰が行われ、表彰者の写真撮影は閉会式終了後に行われる。
 
== 試合会場 ==