「タイタン (芸能プロダクション)」の版間の差分

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[[1990年]]、当時[[太田プロダクション]]に所属していた爆笑問題が、自らがやりたい仕事をやりたかった事とスカウトした人物にそそのかされた事が重なって独立するものの、それが太田プロの怒りを買う事になり、事務所の力関係からいわゆる「干された」状態となり、仕事の無い状況が続いた。
 
[[1993年]]、太田プロに復帰できそうになるも光が「戻らない」と言い出したことから、光代が「私が事務所をやるしか無い」と覚悟を決めて芸能事務所の立ち上げを決断<ref>{{Cite web |url=https://tenshoku.mynavi.jp/knowhow/kibou/004_1 |title=スペシャル対談 vol.4 決断するから前へ進める(前編)太田光代×田中みな実 / 朝日新聞×マイナビ転職 キボウノアシタ |publisher=マイナビ転職 |accessdate=2021-04-07}}</ref>。10月に爆笑問題が「[[NHK新人演芸大賞]]」を受賞したのを機に、11月<ref>『[[Quick Japan]]』Vol.76(2008年2月9日、[[太田出版]]発売)「特集1 爆笑問題」内「活動年表」より。</ref>に光代が[[個人事業主]]としてタイタンを創業<ref name="m.ohta">[http://promotion.yahoo.co.jp/charger/backnumber/category/warashibe/vol16_02.php 太田光代(タイタン) 好きが高じてわらしべ社長 [Webマガジン 月刊チャージャー] - Yahoo! JAPAN PR企画] ※太田光代へのインタビュー(2006年頃収録。2ページ目)</ref>、1年半ほどした[[1995年]]頃に[[有限会社]]タイタンとして法人化した<ref name="m.ohta" />。
 
創業直前に、前述の形で退社した太田プロと話し合いを行い、タイタン設立を承諾され、設立直後は壁にぶつかる度に太田プロに相談を持ち掛ける事もあった。
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光代の営業努力と爆笑問題の台頭もあり次第に評価を高め、その後[[株式会社 (日本)|株式会社]]化し、所属タレントを増やしながら、現在に至る。
 
売上について、[[2009年]][[4月22日]]に[[MBSテレビ|MBS]]・[[Japan News Network|TBS系]]で放送された番組『[[クメピポ! 絶対あいたい1001人]]』で、太田光代は「月に1億円は普通にいきますよ」と発言している。
 
[[2014年]][[6月]]、[[爆笑問題]]の同級生で元マネージャーの男が[[覚醒剤|覚せい剤]]所持の現行犯で逮捕されていたと報道された<ref>[https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1610671/ 爆笑問題 元マネージャーが覚せい剤で逮捕!] [[女性自身]] [[2014年]][[6月24日]]</ref>。裁判では、タイタンでマネージャーとして働いていた頃から覚せい剤を使用していたことが明らかとなり、これを受けてスタッフと所属タレント全員が病院で薬物検査をすることになった。
 
[[2014年]][[9月]]に[[辻仁成]]が移籍してきたことから[[映画]]製作にも進出し、辻が監督を務める『[[東京デシベル]] TOKYO DECIBELS』(2017年5月20日公開)がその第1作となる<ref>[http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/436714/ 辻仁成監督が長井秀和に演技指導しないワケ] - 東京スポーツ・2015年8月19日</ref>。