「長南年恵」の版間の差分

 
== 概要 ==
[[1863年]][[12月6日]]([[文久]]3年[[10月26日 (旧暦)|10月26日]])[[羽前国]][[庄内地方|庄内]]高畑(現在の[[山形県]][[鶴岡市]]日吉町<ref name="100nensai">[http://www.ne.jp/asahi/chonan/kenkyu/kaiho27.htm 「長南年恵100年祭」全国長南会通信27号]</ref>)に、庄内藩士の長女として生まれる。20歳のころまでの記録経歴は不だが、[[1874年]]([[明治]]7年)に鶴岡に小学校が開校した際には入学出来ず、子守奉公をしていたところ、次第に予言めいた言葉を口走る様になり、噂を聞きつけた住民の相談に乗るうち、奉公先から巫女として開業することを薦められたという説がある<ref name="100nensai" />。弟の長南雄吉は、大阪浦江にあった大日本蓄電池株式会社の専務取締役で、雄吉が見た年恵の20歳以後の[[超常現象]]などの記録を、後年、[[心霊]][[研究家]]の[[浅野和三郎]]がまとめて発表している<ref>[http://www.books.x0.com/bunko/b03/b03t100.shtml 『心霊文庫』第三篇 続幽魂問答(付録 長南年恵物語)] - [[浅野和三郎]] 著</ref>。
 
[[1907年]]([[明治]]40年)[[10月29日]])死亡。享年45(かぞえ年齢)。しかし満年齢では従来44歳と思われてきたが、生年を旧暦で没年を太陽暦で計算するという矛盾から錯誤した年齢であって、太陽暦で正確に計算すると満43歳10カ月であった。[[2006年]][[11月3日]]には年恵の没後百年をしのび「長南年恵100年祭」が、年恵の墓のある鶴岡市の般若寺にて行われた<ref name="100nensai" />。
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