「帝銀事件」の版間の差分

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トリプレット1987
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* 逮捕後の平沢の取り調べを独占的に行った検事の高木一は、米国人ジャーナリストの取材に対して、'''GHQは捜査に介入したことはなく実際には「協力」してくれたのだ'''、と述べたうえ、藤田次郎刑事部長らとともに'''GHQの監視ぬきで'''[[731部隊]]の[[石井四郎]]から事件と犯人像についての意見を聞いた秘話を明かした(トリプレット1987<ref name="トリプレット1987"/>「第2部 GHQ文書が明かす新事実」)。高木もまた、捜査本部が平沢逮捕時も旧軍関係者を追っていたことを以下のように証言している。「八月ごろになって、名刺の線を追っていた居木井為五郎警部の方から平沢が出てきたわけです。そのころ、'''警視庁が二つに割れていましてね'''。'''平沢説が居木井班'''で、もう一つは'''鈴木清君の班で軍の関係者という見方'''でした。居木井君は、巻き物みたいなものに、二八項目の容疑事実をあげて持って来ました。警視庁の藤田刑事部長は、私の大学の同期だったのですが、『困ったことになった』と話していました」「逮捕する段階でも、シロともクロとも断定していたわけではありません」「クロの意見をもっている者に捜査をやらせるとクロの捜査資料しか持ってこないし、シロの意見の人の場合もシロしか集めない傾向がなきにしもあらずです」「'''居木井君の班は、平沢逮捕後は捜査班からはずし'''、証拠の整理をしてもらったんです。そして、'''シロ説をとる者に全力捜査をさせました'''」(野村二郎『法曹あの頃(下)』p.179)。
* 平沢冤罪説論者のあいだでも、1948年当時の実情を知る者たちはGHQ圧力説に否定的である。
*: 731部隊関係者真犯人説を追い続けた読売新聞のT記者(原書では実名)はリアルタイムで第一線で取材にあたった当事者として、捜査二課「秘密捜査班」(通称)の「'''成智'''(英雄)'''が旧七三一部隊関係者の捜査をやめるよう'''(GHQから)'''圧力を受けたという憶測が流れたが、これは真実ではない'''。同様に、'''読売新聞の記者たちが旧七三一部隊員の調査から手を引くよう'''(GHQから)'''命令を受けたという噂も、事実ではない'''」とGHQから捜査や報道に圧力があったとする説はゴシップにすぎないと否定した(前掲『帝銀事件の真実』トリプレット1987<ref name="トリプレット1987"/>,p.135)。
*: 真犯人は平沢ではなく旧731部隊関係者であると主張した成智英雄は、自分は731部隊関係者の怪しい容疑者を全員調べた、と豪語した。もしGHQの圧力で捜査を途中で中止されたなら、全員を調べることは不可能だったはずである(前掲『帝銀事件の真実』トリプレット1987<ref name="トリプレット1987"/>,第2部)。
* 裁判所もGHQ介入説の矛盾を指摘している。平沢貞通の再審弁護団による第17次再審請求を棄却した「[https://www.daihanrei.com/l/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%AB%98%E7%AD%89%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%20%E6%98%AD%E5%92%8C%EF%BC%95%EF%BC%96%E5%B9%B4%EF%BC%88%E3%81%8A%EF%BC%89%EF%BC%91%E5%8F%B7%20%E6%B1%BA%E5%AE%9A 東京高等裁判所 昭和56年(お)1号 決定]」の中で、裁判所は「'''満七三一部隊を含む旧軍関係の捜査は請求人'''(平沢貞通)'''の検挙の時まで続行されていた'''のであって、G・H・Qの命令で満七三一部隊関係の捜査が打ち切られたことを示す証拠は」どこにも存在しないこと、再審弁護団の主張のうち「G・H・Qの命令で731部隊の捜査は途中で打ち切りになった」と「捜査二課の成智英雄は731部隊の全員を最後まで調べあげ真犯人は平沢ではなくS中佐(原文では実名表記)であるとつきとめた」の2つは矛盾していること、を指摘した。