「ディジー・リース」の版間の差分

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ジャマイカの[[キングストン (ジャマイカ)|キングストン]]に生まれる。父親は[[無声映画]]のピアノ伴奏者であった。多くの音楽家を輩出したことで名高いアルファ男子校に在籍中の14歳の時に、バリトン・[[サクソフォーン]]から[[トランペット]]に転向した。16歳から常勤のミュージシャンとして活動して、[[1948年]]には[[ロンドン]]に渡るも、[[1950年代]]は[[ヨーロッパ大陸]]に、それも大方[[パリ]]にて過ごした。とりわけ[[ドン・バイアス]]や [[ケニー・クラーク]]、[[フランク・フォスター]]、[[サド・ジョーンズ]]らと共演している。[[マイルス・デイヴィス]]や[[ソニー・ロリンズ]]などから称賛されて、[[1959年]]に[[ニューヨーク]]へと進出するが、[[1960年代]]のニューヨークは苦闘の日々であった。リースが[[ブルーノート・レコード|ブルーノート]]・レーベルに残した一連の録音が、[[2004年]]に[[モザイク・レコード]]より再発されたことがきっかけで、愛好家はリースの人気が盛り返すことを希望するようになった。
 
1958年に映画『Nowhere to go』の音楽制作に携わった。今なおミュージシャンや作曲家としては現役であり、[[ヴィクター・フェルドマン]]や[[タビー・ヘイズ]]、パリ・リユニオン・バンド、[[クリフォード・ジョーダン|クリフォード・ジョーダンズ・ビッグバンド]]、[[デクスター・ゴードン]]、[[テッド・カーソン]]、[[デューク・ジョーダン]]、[[フィリー・ジョー・ジョーンズ]]や[[ジョン・ギルモア (ミュージシャン)|ジョン・ギルモア]]らとともに、長年にわたって録音を行なってきた。
 
他の共演者は[[ハンク・モブレー]]、[[ウィントン・ケリー]]、[[ポール・チェンバース]]、[[アート・テイラー]]、[[セシル・ペイン]]、[[ハンク・ジョーンズ]]、[[ロン・カーター]]、[[ドナルド・バード]]、[[ダグ・ワトキンス]]、[[タビー・ヘイズ]]等が挙げられる。
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* ''Possession, Exorcism, Peace'' (1977年、Honey Dew)
*『ブローウィン・アウェイ』 - ''Blowin' Away'' (1978年、Interplay) ※with [[テッド・カーソン]]、クロード・ウィリアムソン・トリオ
* ''Comin' On!'' (1999年、Blue Note) ※1960年録音
* ''A New Star'' (2001年、Jasmine) ※1955年–1956年録音
* ''Nirvana - The Zen Of The Jazz Trumpet'' (2006年、Jazz Vision) ※1968年録音
 
== 参考文献 ==