「アレクサンドリア港攻撃」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
47行目:
他に予備要員2名も乗艦した<ref name=グレイ272/>。12月14日、「シィーレ」は出撃しアレクサンドリアへ向かった<ref name=OHara125/>。気象条件の問題で攻撃は1日延期され、12月18日決行となった<ref name=グレイ272/>。
 
イタリア潜水艦12月18日の日没後「シィーレ (''{{lang|it|Scirè}}) は昼間は潜航、夜間は浮上航行という航海を経てし、アレクサンドリアに到着の商港の沖で3隻のSLCは発進した{{Sfn|<ref>『潜水艦戦争|1973|の死闘』272ページ、''Frogmen against a Fleet'', p=130b}}. 125</ref>。イギリス海軍では、クイーン・エリザベス級戦艦の[[:en:HMS_Barham_(04)|バーラム]] (''{{lang|en|HMS Barham}}'') が前月[[11月25日|25日]]に[[:en:German submarine U-331|U-331]]に撃沈されたこともあり、その姉妹艦2隻(エリザベス、ヴァリアント)をアレクサンドリアで温存していた{{Sfn|撃沈戦記|1988|p=372}}。SLCはRas el Tin半島、次いで防波堤に沿って進み、真夜中に軍港入り口の防御材と防潜網に着いた<ref>潜水艦の死闘』272ページ、''Frogmen against a Fleet'', pp. 125, 127</ref>。この夜は帰投する巡洋艦「[[ナイアド (軽巡洋艦)|ナイアド]]」、「[[ユーライアラス (軽巡洋艦)|ユーライアラス]]」および駆逐艦4隻のために0時24分に港の入口は開かれていた<ref>''Frogmen against a Fleet'', p. 127</ref>。3隻の駆逐艦が入港するのを見たペンネは、その機に他の2隻と共に港内への侵入を果たした<ref>『潜水艦の死闘』273ページ、''Frogmen against a Fleet'', p. 127</ref>
 
ペンネのSLCは「ヴァリアント」のもとにたどり着き潜水した際に海底に沈下してしまった<ref>『潜水艦の死闘』274ページ、''Frogmen against a Fleet'', p. 128</ref>。また、ビアンキは気絶した<ref>''Frogmen against a Fleet'', p. 128</ref>。モーターの起動に失敗したペンネは40分かけて爆薬を戦艦の真下まで移動させた<ref>『潜水艦の死闘』274ページ</ref>。その後浮上したペンネはビアンキ共々捕らえられた<ref>『潜水艦の死闘』274-275ページ</ref>。二人はまず陸上に移されて尋問されたが、氏名、階級および識別番号のみしか答えなかった<ref name=グレイ275>『潜水艦の死闘』275ページ</ref>。その後二人は「ヴァリアント」に戻された<ref name=Ohara130>''Frogmen against a Fleet'', p. 130</ref>。[[アンドルー・カニンガム (ハインドホープの初代カニンガム子爵)|アンドルー・カニンガム]]によれば、彼は二人を「ヴァリアント」に戻し、艦内下部に閉じ込めるよう命じたという<ref name=Ohara130/>。捕虜を危険な状況に置くことで情報を入手しようとしたものであった<ref name=グレイ275/>。閉じ込められた二人であったが、何もしゃべらなかった<ref name=グレイ276>『潜水艦の死闘』276ページ</ref>。二人が閉じ込められていた場所は偶然ではあるが爆薬設置場所の近くであった<ref name=グレイ276/>。
[[12月18日]]、海面下15メートル(49フィート)を潜水するシィーレは、目標のアレクサンドリア港から2.1kmの地点で三基の人間魚雷を射出した。この夜、アレクサンドリア港の入口には、英駆逐艦3隻と、哨戒の艦載水雷艇2隻がいた{{Sfn|撃沈戦記|1988|p=373b}}。三つの有人魚雷を操作する隊員達は、イギリス軍が哨戒艦艇を基地に収納するタイミングを利用して、湾内に潜入する事に成功した{{Sfn|潜水艦戦争|1973|p=131}}。幾つかの困難を潜り抜けて、ペンネ大尉とピアッチ(ビアンキ)二等兵曹の班は、停泊していた英戦艦[[ヴァリアント (戦艦)|ヴァリアント]] (''{{lang|en|HMS Valiant}}'') の底に[[リムペットマイン|吸着機雷]]を設置した{{Sfn|撃沈戦記|1988|p=374}}。その直後にイギリス軍は潜入部隊の存在に気付き、彼らを拘束した{{Sfn|潜水艦戦争|1973|p=133}}。しかしイギリス軍は吸着機雷の存在には気が付かなかった{{Sfn|潜水艦戦争|1973|p=133}}。イギリス側は二人を尋問したが、彼らは氏名と階級、識別番号しか答えず、そのためヴァリアント艦内に軟禁されたがその場所は彼らが爆薬を設置した場所の近くであったという<ref>潜水艦の死闘、275-276ページ、潜水艦戦争、133ページ</ref>。ペンネとビアンキは約二時間半の間、黙り続けた{{Sfn|撃沈戦記|1988|p=374}}。それから爆発予定時刻の10分前になってからようやく、ペンネはヴァリアントのチャールズ・モーガン艦長と話をしたいと言い、もうすぐこの戦艦は爆発すると白状した<ref>潜水艦の死闘、276ページ、潜水艦戦争、133ページ</ref>。午前6時、ヴァリアントは艦中央部で起きた爆発により大破した{{Sfn|撃沈戦記|1988|p=374}}。奇跡的にペンネとエミリオの二人は無事に脱出した。
 
マルチェリア組は「クイーン・エリザベス」への爆薬設置に成功し、4時30分に岸にたどり着いた<ref>『潜水艦戦争』124ページ、''Frogmen against a Fleet'', p. 128</ref>。空母はおらず、マルテロッタは3隻目の戦艦と思しきものを発見して攻撃しようとしたものの、その後それは巡洋艦であると判断<ref name=Ohara129>''Frogmen against a Fleet'', p. 129</ref>。ノルウェーのタンカー「サゴナ (Sagona)」(7,554 GRT) のもとにたどり着き、呼吸装置の不具合で潜水できなかったことから、その船尾に爆薬を取り付けた<ref name=Ohara129/>。
同じタイミングでエジプト警察が市内に潜伏していたヴィチェンツォら他の4人の隊員を拘束していたが、既に彼らは同じく湾内のノルウェー国籍の[[タンカー]]「タゴナ」 (''{{lang|en|Sagona}}'')(7,750トン)と英戦艦[[クイーン・エリザベス (戦艦)|クイーン・エリザベス]] (''{{lang|en|HMS Queen Elizabeth, 00}}'') に機雷設置を完了していた{{Sfn|撃沈戦記|1988|p=375}}。湾内でタゴナが轟音と共に爆発し、隣に停泊していた英駆逐艦[[ジャーヴィス (J級駆逐艦)|ジャーヴィス]] (''{{lang|en|HMS Jervis, G00}}'') も巻き込まれて大破した{{Sfn|撃沈戦記|1988|p=375}}。続いてクイーン・エリザベスの艦底でも爆発が発生し、機関部に浸水して着底した{{Sfn|撃沈戦記|1988|p=375}}。
 
爆発予定時刻の10分前になってペンネは艦長への面会を求め、もうすぐこの艦は沈むと述べた<ref name=Ohara130/>。その後、ペンネは元の監禁場所に戻された<ref name=グレイ276/>。5時45分、「サゴナ」の爆薬が爆発。続いて6時6分に「ヴァリアント」で、6時10分に「クイーン・エリザベス」で爆発が起きた<ref name=Ohara130/>。ペンネは脱出でき、またビアンキも助かっている<ref>『潜水艦の死闘』276ページ、''Frogmen against a Fleet'', p. 130</ref>。
 
マルテロッタ組は上陸後エジプト警察に逮捕された<ref name=Ohara129/>。マルチェリア組は列車で[[ロゼッタ (エジプト)|ロゼッタ]]へ向かった<ref name=グレイ277>『潜水艦の死闘』277ページ</ref>。ロゼッタ沖では潜水艦「ザフィロ (Zaffiro)」が待機していた<ref name=グレイ277/>。二人はロゼッタで他の組を待っていたが、12月23日にエジプト警察に逮捕された<ref>『潜水艦の死闘』277ページ、''Frogmen against a Fleet'', p. 129</ref>。
 
== 結果と影響 ==