「井上清 (時計職人)」の版間の差分

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=== 戦中 - 戦後 ===
1941年(昭和16年)、戦争の激化につれ、時計台の建物に軍隊が泊まり込むようになった。井上が時計台の中に入ることはできず、鐘は鳴らなくなった{{R|ほっかいどう百年物語20100227_p12}}。1945年(昭和20年)に終戦を迎え、井上は再び時計台に入ることができた。予想通り、機械は停止していた。井上は、鐘の音も人の命も奪った戦争に対して、憎しみと怒りを込め、鐘を鳴らし、死んだ人たちのために祈った{{R|ほっかいどう百年物語20100227_p12}}。そしてまた、修理をしにまた通う日が続いた{{R|ほっかいどう百年物語20100227_p12}}。終戦直後の1947年(昭和22年)からは、長男の井上和雄も仕事を手伝った{{R|時計台ものがたり20081016_p68}}。
 
日本が[[連合国軍最高司令官総司令部]]の施政下にあった1948年(昭和236年)から1951年(昭和26年)の4年の間、[[サマータイム]]が実施され、サマータイムの開始日と終了日の年2回、午前0時に時計を調節する作業が必要だった。何かあればすぐ駆けつけられるようにするため、仕事の場合を除き、泊りがけの旅行はできなかった{{R|札幌時計台_時計台を守り伝える|時計台19730115_p60}}。