「日本の鋸」の版間の差分

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* 古代日本では、鋸の和名は「ノホキリ」と読み、『[[新撰字鏡]]』(897 - 900年)では「乃保支利(のほきり)」と表記し、『[[和名類聚抄]]』(935年)でも「能保岐利(のほきり)」と記されている。
* 『[[和漢三才図会]]』巻第二十四「百工具」の記載では、図に「舟鋸」が描かれている他、大鋸も3種ほど描かれている。
* 冒頭にあるように日本の鋸は輸出され、アメリカ、更には欧州にも拡大しており、またwikipediaでは現時点(2017年8月)で日本の鋸の項目は日本語以外に欧米を中心に11言語存在している。これは押しノコである欧米の鋸と異なり引きノコであるという特徴も一因にはあるが性能の高さが評価されている点も大きい。日本の鋸の性能がどの時点で世界的に高い水準となったかは不明ながら、ロシア人[[ヴァシーリー・ゴロン]]が1811年より約2年3ヶ月の間、[[松前]]に抑留された事件、いわゆる[[ゴローニン事件]]での記録を著した『日本幽囚記』において日本の鋼製品一般を高く評価した上で「日本の鋸は非常に良くて、どんな硬い木からも非常に薄い板をひける」と取り上げて評価しており、19世紀初頭の段階で高いレベルにあったものと推察出来る。
* [[伝統工芸]]となっている地方産品としての鋸も存在する。例としては、三木金物([[兵庫県]][[三木市]])の一つ<ref>[http://www2.city.miki.lg.jp/miki.nsf/0/485ED48ED3BF006D4925740400007B17?OpenDocument#%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E7%9A%84%E5%B7%A5%E8%8A%B8%E5%93%81 三木金物]三木市・商工観光課(2018年3月28日閲覧)</ref>や、木造船用として発達した[[安房国|房州]]鋸([[千葉県]]南部)があるが、このうち房州鋸は職人が一人残るのみである<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXKZO28576350W8A320C1BC8000/ 粕谷雄治「 房州鋸 切らぬ伝統◇数十の工程を一人でこなし、用途に合った切れ味追求◇]『日本経済新聞』朝刊2018年3月27日(文化面)</ref>。