「立花道雪」の版間の差分

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道雪びいきなのはわかりますが、変に力が入りすぎていますよ。そもそも「筑後国史」は久留米藩士の著作です。客観的に書かないといけないし、日本語的にも不格好です。以上の点修正します。
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'''戸次 鑑連/立花 道雪'''(べっき あきつら/たちばな どうせつ)は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[安土桃山時代]]にかけての[[武将]]。[[豊後国|豊後]]の[[戦国大名]]・[[大友氏]]の[[家臣]]。[[臼杵鑑速]]や[[吉弘鑑理]]らと共に'''大友家の三宿老'''に数えられた{{Sfn|楠戸|2009|p=163}}。
 
[[大友義鑑]]・[[大友義鎮]]の2代に仕えた大友家の宿将で、北九州各地を転戦し、その勇猛は諸国に知られて恐れられた。本人は立花姓を名乗っておらず、'''戸次鑑連'''または'''戸次道雪'''で通している{{Efn|だが、豊後の儒学者・[[帆足万里]]が著した『[[井樓纂聞 梅岳公遺事]]』[http://komonjo.lib.niigata-u.ac.jp/kmtmp/fb8a9d3caa4e51b832a6bbdac0a8cc73/kmview.html]その第二卷 P.26に、天正八年の際、道雪から宗麟への書信にすでに立花道雪と署名したと指摘された。}}
 
== 生涯 ==