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[[ファイル:Ototachibanahime.png|サムネイル|弟橘媛(『[[前賢故実]]』)より]]
'''弟橘媛'''(おとたちばなひめ、生年不詳 - [[景行天皇]]40年)は、『[[日本書紀]]』によれば[[ヤマトタケル|日本武尊]]の[[妃]]。『[[古事記]]』では倭建命の后・'''弟橘比売命'''とする。
 
== 記紀の弟橘媛(弟橘比売命) ==
『古事記』は、[[焼津神社|焼津]]で[[相武国造]]にだまされ火攻めにあい、[[倭姫命|倭比売命]]より賜った[[草薙神社|草薙剣]]によって難を逃れた倭建命が[[浦賀水道|走水海]]に至った時、[[海]]は荒れ狂い先に進むことが不可能になった。[[ワタツミ|海神]]の怒りを解くため、弟橘比売命は「私は夫である皇子の身に替わって海の中に入ります。どうぞ皇子の東征を護らせ給え」と念じ、浪の上に菅畳八重、皮畳八重、絹畳八重を敷いて、その上に座って海に下りた。すると波が穏やかになり、[[船]]を進めることが可能になったとする<ref>『古事記(中)全訳注』 150ページ</ref>。
 
{{Quotation|そこより入り幸でまして、走水海を渡りたまひし時、その渡の神浪を興し、船を廻らして得進み渡りたまはざりき。こにその后、名は弟橘比売命白したまひしく、「妾御子に易りて海の中に入らむ。御子は遣はさえし政遂げて復奏したまふべし」とまをしたまひて、海に入りたまはむとする時に、菅畳八重・皮畳八重・絹畳八重を波の上に敷きて、その上に下りましき。是に其の暴自ら伏ぎて、御船得進みき。ここに其の后歌曰ひまひしく、<br/>
* さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
とうたひたまひき。かれ、七日の後、その后の御櫛海辺に依りき。すなわちその櫛を取りて、御陵を作りて治め置きき<ref>『古事記(中)全訳注』 147ページ</ref>。}}