「天石門別神」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
修正
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
→‎概要: 修正
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
27行目:
天石門別神は古来より天皇の宮殿の四方の門に祀られていた神である。[[神祇官]]の西院では[[宮中・京中の式内社一覧|御門巫祭神]]として祀られて式内社とされていた。 [[フトダマ|天太玉神]]の子ともいう<!-- 『日本の神様読み解き事典』などにこう書かれているのですが、これの出典は何なのでしょう? -->。
 
== 系譜 ==
『古屋家家譜』によると、[[大伴氏]]の祖・[[高皇産霊尊]]の子である[[安牟須比命]]の3世孫に'''天石門別安国玉命'''(あめのいわとわけやすくにたま)がいるとされ、天石門別安国玉主天神社同系譜では、'''天石門別安国玉主命'''、'''大国栖玉命'''、'''[[大刀辛雄命]]'''(たちからお)の別名があるとされる。『[[尊卑分脈]]』では、[[興台産霊命]]([[中臣氏]]祖)が王主命の許登能床遅媛命を娶り生む所の者が天児屋根命だと記されており、正しくは「玉主命の女、許登能麻遅媛命」と考えられる<ref>宝賀寿男[http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/takemika1.htm 中臣氏族の遠祖と武甕槌神]」『古樹紀之房間』、2007年。</ref>。これらから、天石門別神の実体は天手力男神ではないか考えられる<ref> [[宝賀寿男]]「中臣氏一族の系図(試案)」『古代氏族の研究⑤ 中臣氏 卜占を担った古代占部の後裔』、青垣出版、2014年。</ref>。
 
『斎部宿禰本系帳』では[[天背男命]]の別名に明日名門命と天石門別命を掲げているが<ref>「斎部宿禰本系帳」『安房忌部家系』、松平家蔵書印。</ref>、実際に天背男命の別名は明日名門命だけとされる<ref> 宝賀寿男「天皇氏族の系図(試案)」『古代氏族の研究⑬ 天皇氏族 天孫族の来た道』、青垣出版、2018年。</ref>。