「大仙院」の版間の差分

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== 文化財 ==
=== 国宝 ===
*本堂([[方丈]])(附:[[玄関]])-[[永正]]10年([[1513年]])に古嶽宗亘が自分の隠居所として建立したもので、日本の[[方丈]]建築としては[[東福寺]]・[[龍吟庵]]方丈に次いで古い遺構である。「[[床の間]]」が現れるのもこの時代で、大仙院の床の間は日本最古とされ、「[[玄関]]」も日本最古の玄関として[[国宝]]に指定されている。
*大燈国師墨蹟
*なお、ここからは、一休宗純などの有名な僧を輩出している。
 
=== 重要文化財 ===
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*紙本墨画瀟湘八景図 16幅(室中、伝相阿弥筆)
 
以上4件は方丈障壁画で、現在は掛軸に改装されている。[[室町時代]]を代表する障壁画で、[[フランス]]の[[ルール美術館]]にも出展されたことがある。なお、大仙院旧方丈障壁画のうち、衣鉢の間と書院の間(すいしょう室)<ref>「すい」は「生」の第3画目の縦画が上に突き出ない形の字。Unicodeは738D。「しょう」は草冠に「召」。</ref>にあった墨画の禅宗祖師図など24幅は[[東京国立博物館]]の所蔵となっている。
 
*牡丹孔雀文堆朱盆
*書院拾雲軒』 」 - [[沢庵宗彭]]が[[宮本武蔵]]に剣道の極意を授けた処として喧伝されているが、[[室町時代]]の代表的[[書院]]建築である。
 
=== 史跡・特別名勝・名勝 ===
*大仙院書院庭園(国の[[史跡及び]]・[[特別名勝]])
*:室町時代を代表する枯山水庭園である。本堂(方丈)北東の室である「書院の間」の北から東にかけて築庭されている。鶴島と亀島の間の蓬莱山から流れ落ちる[[]]が、大河となって大海に流れ込む様を表現し、滝、橋、舟などをすべて石で表す。狭い面積に広大な景観を表現したもので、開祖古嶽宗亘による作庭とみられる。庭は以前は杉苔で覆われていたが、1953年に白砂敷きに復元された。東京国立博物館に所蔵される[[江戸時代]]後期の大仙院石庭の起こし絵図(折り畳み式の立体絵図)と比較すると、現在の庭は旧状をよくとどめていることがわかる。庭を横切る渡廊は前述の起こし絵図に基づき、1961年に復元されたものである。<ref>『日本史小百科 庭園』、pp.210 - 211; 『図説日本の史跡 6 中世』、p.288</ref>
*大仙院庭園(国の[[名勝]]) - 方丈の南側および周囲の庭園。方丈南庭は白砂の中に2か所の砂盛を配したのみの簡潔な庭である。
 
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