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== 概説 ==
[[1972年]]に元[[検察官]]の[[近藤仁一]][[弁護士]]の私塾として受験指導を開始。そのためもあって、長らく司法試験専門の予備校であり、規模的にも小規模な予備校であった。その近藤仁一弁護士が病気で一線を退いた、司法試験受験者数の増大とともに、徐々に規模を拡大、本校を[[大久保]]から高田馬場に移転している。現在は、[[法科大学院]]が開校し[[新司法試験]]受験には入学が不可欠であること、[[新司法試験]]の受験者は限定され受講生の減少が予想されることもあり、[[法科大学院]]入試の講座や[[司法書士]]等の資格試験の受験指導も行っている。
 
[[司法試験]]を取り扱う予備校の中でも、[[模擬試験]]の内容や運営にトップレベルの難易度と言われてい定評がある。特に、論文式試験の模擬試験「日曜答案練習会」(略称:「日練」)で出題される問題は、その全てが日本の著名な法学者により作問され、「超難問」であることで有名。
[[新司法試験]]へも、最も熱心に取り組んでいる予備校と言えである。
 
創業者である近藤仁一弁護士が亡くなった後、子息の近藤広明弁護士ら創業家は[[株式]]を手放しており、現在は資本的結びつきはない。また、講師・職員含めて近藤時代を知るものは数少なくなった。その意味では、第二期辰己法律研究所とえるうべきであろう
また、現在の代表者及び経営層の大半は[[法曹]]資格や[[公認会計士]]等の資格を有しておらず、また法学研究者でもない(指導は経営陣以外の弁護士・学者等が行う)。故近藤仁一弁護士の教え子であった「元受験生」が経営の主流を占める。[[LEC]]、[[伊藤塾]]、[[Wセミナー]]のように経営者自らが直接資格試験対策など後進育成に携わることがないのはそのためである。
 
また、現在の代表者及び経営層の大半は[[法曹]]資格や[[公認会計士]]等の資格を有しておらず、また法学研究者でもない(指導は経営陣以外の弁護士・学者等が行う)。故近藤仁一弁護士の教え子であった「元受験生」経営主流まま受験あきらて経営に携わっている。[[LEC]]、[[伊藤塾]]、[[Wセミナー]]のように経営者自らが直接資格試験対策など後進育成に携わることがないのはそのためである。なお、指導は経営陣以外の弁護士・学者等が行っている。
辰已法律研究所の評価は、ひとつに[[司法試験委員]]クラスの学者を招いての集中講義、近藤仁一弁護士との濃密な人間関係による小教室(固定席型の自習室およびゼミ)、それから日曜答案練習会の堅実な運営スタイルなどにあったといえる。近藤時代の終焉とともに、そうした古き良きスタイルもまた終わり、[[旧司法試験]]とともにやがて人々の記憶からも遠ざかっていくことであろう。時代の流れというほかない。
 
辰已法律研究所に対する高い評価は、ひとつに[[司法試験委員]]クラスの学者を招いての集中講義、[[近藤仁一]]弁護士との濃密な人間関係による小教室(固定席型の自習室およびゼミ)、それから日曜答案練習会の堅実な運営スタイル、それから、当時の[[近藤雅之]]所長(元防衛大学校教授・元陸将補、旧陸軍少佐・熊本幼年学校生徒監)の人柄などにあったといえるしかし、近藤仁一弁護士・近藤雅之所長時代の終焉とともに、そうした古き良きスタイルもまた終わり、[[旧司法試験]]とともにやがて人々の記憶からも遠ざかっていくことできつつろう。時代の流れというほかない。
 
== 対応試験 ==