「湯の浜カントリークラブ」の版間の差分

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== 概要 ==
[[1964年]]([[昭和]]39年)、山形県北[[庄内平野]]には本格的ゴルフ場はなく、[[最上川]]河口に[[河川敷]]コース「宮野浦カントリー倶楽部」(現・[[最上川カントリークラブ]])([[1963年]](昭和38年)開場、設計・常任理事会)9ホール、距離2,325ヤード、パー32が唯一あるだけだった<ref name="yunohama">『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「鶴岡と酒田のゴルフ同好会が『庄内にゴルフ場を造ろう』と建設に動いた」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年6月13日閲覧</ref>。
 
宮野浦カントリー倶楽部は、ゴルフ好きの同好会を育てていた、[[鶴岡工業高等専門学校|鶴岡高専]]校長の[[林茂助]]卒業生中心のゴルフ同好会を結成し、「秋田カントリー倶楽部」([[1961年]](昭和36年)開場、設計・特別委員会)や「[[蔵王カントリークラブ]]」([[1961年]](昭和36年)開場、設計・三好徳行)へ遠征していた<ref name="yunohama"/>。また、宮野浦カントリー倶楽部の三井健は所有地に練習場を造り、常連たちと同好会を作っていた<ref name="yunohama"/>。
 
同好会の動きを見ていた[[荘内銀行|株式会社荘内銀行]]頭取の[[金井勝助]]は、鶴岡同好会のメンバーに酒田同好会のメンバーを併せて「庄内に本格ゴルフコースを造ろう」と動き出した<ref name="yunohama"/>。[[1965年]](昭和40年)2月、新たなゴルフ場の建設に向けて経営母体「庄内ゴルフ株式会社」の設立発起人会を結成した<ref name="yunohama"/>。ゴルフ場の建設用地は、[[日本海]]、[[鳥海山]]への眺望が良く[[湯野浜温泉]]がある、海に近い妙達山の山麓に決定された<ref name="yunohama"/>。[[1965年]](昭和40年)11月、「庄内ゴルフ株式会社」を設立し、理事長には金井勝助が、副理事長には本間興造が就任した<ref name="yunohama"/>。
 
[[1969年]](昭和44年)2月、コース用地は[[買収]]した15万坪のうちの10万坪を使い9ホールを、コース設計は[[富澤誠造]]に依頼し、[[造成|造成工事]]が着工された<ref name="yunohama"/>。残りの5万坪にさらに5万坪を買い足して9ホールを造成し、18ホールのゴルフ場が完成された<ref name="yunohama"/>。その後、[[1971年]](昭和46年)、狭い旧9コースをインコースに、広い新しい9コースをアウトコースに交換が行われた<ref name="yunohama"/>。
 
== 所在地 ==