「小林一三」の版間の差分

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** 1901年(明治34年)生、[[東京外国語学校]]出身<ref name=jinji8/>。東宝[[代表取締役]][[社長]]を務めた。1957年(昭和32年)10月死去。[[尾崎紅葉]]・[[泉鏡花]]・[[永井荷風]]ら近代文学の書物収集が趣味で、コレクションが[[池田文庫]]の「小林家文庫」に収蔵されている。妻は[[平賀敏]]の六女<ref name=jinji8>[http://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/docs/who8-8626 小林一三]『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]</ref>。
* 次男・[[松岡辰郎|辰郎]]
** 卒業と同時に松岡家に養子入りし、義理の父が[[松岡汽船]]創業者で[[呉羽紡績]]役員発起人の[[松岡潤吉]]となる。後に東宝代表取締役社長を務めた。1974年(昭和49年)8月死去。辰郎の子が現在の東宝名誉会長・[[松岡功]]で、その息子で一三の曾孫にあたるのが、タレント、元プロ[[テニス]]プレイヤーの[[松岡修造]]で、その娘([[玄孫]])が、[[宝塚歌劇団]]105期生の[[稀惺かずと]]。修造の姉敏子の夫は[[辻芳樹]]に嫁ぎ、稀の従兄弟でもある[[辻雄康]]の母となった。
* 三男・[[小林米三|米三]]
** [[京都帝国大学]]卒。阪急社長を務めたが、在職のまま1969年(昭和44年)2月に死去した。阪急電鉄元会長・社長・名誉顧問、[[宝塚音楽学校]]名誉校長を務めた[[小林公平]](2010年5月死去)は、辰郎の長女で米三の養子となった小林喜美の夫で、戦前からの[[三菱グループ]]幹部の家系であった三村家から小林家に婿入りした。また、公平の長男が元・宝塚歌劇団理事長の[[小林公一]]である。
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