「仲哀天皇」の版間の差分
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熊襲征伐の際、熊鰐という者が[[周防国|周芳]]の佐波([[山口県]][[防府市]]佐波)で天皇を出迎えた。船首には大きな賢木(さかき)が立てられており上枝に白[[銅鏡]]、中枝に[[十握剣]]、下枝に[[八尺瓊勾玉|八尺瓊]]が掛かっていた。豊浦津から筑紫に入る天皇に熊鰐は六連島、藍島、逆見海といった魚や塩がとれる海域を献上して水先案内を行った。しかし山鹿岬から岡浦の水戸(みなと)に入ったところで船が進まなくなってしまった。熊鰐に聞くと、この浦のほとりにいる大倉主、菟夫羅媛(つぶらひめ)という男女の神の意志だという。そこで[[宇陀|菟田]]出身の伊賀彦という舵取りに祭らせると船は無事進んだ。後から来た[[神功皇后|皇后]]もまた船が進まず熊鰐が導いた。これらの功から熊鰐は岡県主となった。
また天皇が筑紫に入る際に五十迹手(いとて)という者が[[長門
賢木([[榊]])に神器を掲げて貴人を出迎える事例は[[景行天皇|景行紀]]にも書かれている。熊鰐と同じく[[周防国|周芳]]の佐波で天皇を出迎えた神夏磯媛(かむなつそひめ)の船首には磯津山(しつのやま)の賢木が立てられており上枝に八握剣、中枝に[[八咫鏡]]、下枝に八尺瓊が掛かっていた。[[神代 (日本神話)|神代]]にも[[天岩戸]]に籠る[[天照大神]]を呼び出すため[[太玉命]]と[[天児屋命]]が天香久山から眞坂樹(まさかき)を掘り出して上枝に八坂瓊、中枝に[[八咫鏡]]、下枝に[[御幣|和幣]]を掛けたという話がある。
=== 大祓 ===
『[[古事記]]』によると息長帯日売命([[神功皇后]])が神がかったとき、天皇は琴を弾き[[武内宿禰|建内宿禰]]は神の言葉を受けた。皇后は西海の宝の国([[新羅]]のこと)を授けるという神託を告げた。しかし天皇はこれを疑い琴を弾くのをやめてしまった。神はとても怒り天皇へ死を宣告した。
急遽、穴門豊浦宮で[[殯]]が行われた。『[[日本書紀]]』では密かに行われたものであるが『[[古事記]]』によると[[大祓]](おおはらえ)という大々的なものだった。「生剥、逆剥、阿離{{efn2|「あはなち」。「天つ罪」では「畔放」と書かれるが、この殯の大祓を記した『古事記』では本文通りに「阿離」と書かれている。畦を壊して田の水を抜き、稲作を妨害する罪である事には変わりがない。}}、溝埋、屎戸、上通下通婚、馬婚、牛婚、鶏婚、犬婚の罪を様々に求めて祓った」とある。このうち生剥から屎戸までは
== 考証 ==
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