「近衛前久」の版間の差分

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前久は[[五摂家]]筆頭という名門貴族の生まれにありながら、その半生を流浪に費やした。また、当代屈指の文化人でもあり、中央の文化の地方波及にも貢献している<ref>{{Cite book|和書|author=近衛通隆|authorlink=近衛通隆|chapter=近衛前久|date=1985|publisher=[[吉川弘文館]]|title=[[国史大辞典 (昭和時代)|国史大辞典]]|volume=5|isbn=4-642-00505-6}}</ref>。
 
前久は[[藤原氏]][[嫡流]]の[[摂家|五摂家]]らしく、[[和歌]]・[[連歌]]に優れた才能を発揮した。[[書道]]は、[[青蓮院流]]を学び、[[有職故実]]にも詳しかった。更に[[馬術]]や鷹狩りなどにも抜群の力量を示して「龍山公鷹百首」という鷹狩りの専門的な解説書を兼ねた歌集も執筆し、秀吉と家康に写本を与えている。古筆の蒐集でもしられ、前久が所持した[[源通親|久我通親]]筆と謂われる[[千載和歌集]]はその分割に際して、古筆家により龍山切と命名された。
 
歌道については、信長の七回忌(天正十六年六月二日)に詠んだ追悼歌の六首が残っている。六首全てで五七五七七の書き出しの一字がそれぞれ「なむあみだぶ」で揃えられている<ref>{{Cite book|和書|author=藤本正行|authorlink=藤本正行|title=本能寺の変 信長の油断・光秀の殺意|date=2010|publisher=[[洋泉社]]|series=歴史新書y|isbn=978-4862486387|page=236}}</ref>。
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