「村井多嘉子」の版間の差分

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|国籍 = {{JPN}}
|別名 = 弦斎夫人
|職業 = [[料理研究家]]
|活動期間 = [[明治20世紀]]から[[昭和]]初期前半
|著名な実績 = 夫の執筆活動への協力、初期の料理レシピの発表、[[割烹着]]の考案
|代表作 = 『弦齋夫人の料理談』
}}
 
'''村井 多嘉子'''(むらい たかこ、[[1880年]]([[明治]]13年)[[7月]]頃 - [[1960年]]([[昭和]]35年)[[8月6日]])は、[[明治20世紀]]から[[昭和]]初期前半かけて活動した[[日本]]の[[料理研究家]]。和洋を問わず様々な料理の[[レシピ]]を発表した。小説家・[[村井弦斎]]の妻であり、異例のベストセラーとなった弦斎の美食小説『[[食道楽 (村井弦斎)|食道楽]]』では、レシピの考案などに協力した。後世では弦斎の秘書や共同研究者といった評価もなされている。自身の著書である『弦齋夫人の料理談』は、レシピ本の走りともいわれ、[[令和21世紀]]の時代に入ってからテレビ番組などで取り上げられる機会があり、100年以上を経て再刊された。また、同書は記者との対談形式になっている点にも特徴があり、その後のテレビ[[料理番組]]の構成の基礎になったとされることもある。このほか、一説には料理服である[[割烹着]]の考案者としても知られている。出生名旧姓は尾崎、本名は多嘉(たか)。夫の名前から、'''弦斎夫人'''(旧字:弦齋夫人)とも呼ばれる。
 
== 生涯 ==
=== 生い立ち ===
[[1880年]]([[明治]]13年)[[7月]]頃{{Efn|村井多嘉子の出生日について、山本文乃{{Sfn|山本文乃|1982|p=47}}は1879年生まれ、丸島隆雄{{Sfn|丸島隆雄|2019|p=7}}と星賀典子{{Sfn|星賀典子|2019|p=214}}は1880年7月6日生まれ、黒岩比佐子{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=188}}は1880年7月11日生まれとしている。}}、母・尾崎峯子と元[[志士]]([[鍋島藩]]{{Sfn|飯田喜代子|1997|p=144}})の父・尾崎宇作との間に生まれる{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=188}}。当時、尾崎家は火事に遭い、[[東京]][[駿河台]]にあった親族の[[後藤象二郎]]宅に避難していた{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=188}}。後藤は峯子の妹・雪子の夫であり、峯子が宇作と結婚したのも後藤の縁であった{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=188}}。そのほか親戚には、雪子の養父に[[岩崎弥太郎]]{{Sfn|丸島隆雄|2019|p=8}}{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=188}}、峯子の弟に[[井上竹次郎]]{{Sfn|丸島隆雄|2019|p=8}}{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=188}}、宇作の従兄に[[大隈重信]]{{Sfn|飯田喜代星賀典子|19972019|p=144214}}{{Efn|大隈重信の母親と尾崎宇作の母親が姉妹であった{{Sfn|江原絢黒岩比佐子|東四柳祥子|20082004|p=115186}}。}}がいた。なお、「多嘉子」というのは通称で、戸籍名は「多嘉」{{Sfn|丸島隆雄|2019|p=7}}もしくは「たか」{{Sfn|江原絢子|東四柳祥子|2008|p=115}}{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=386}}である。二人の兄がおり、末っ子の多嘉子は可愛がられて育ったとされている{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=189}}。
 
父が事業を始めたことに伴って8歳から[[大阪]]で暮らし{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=189}}、16歳の時に東京に戻ってきてからは[[高輪]]に移った後藤宅の別棟で過ごした{{Sfn|丸島隆雄|2019|p=9}}。後藤宅には著名人も数多く訪れ、浄瑠璃の名人や[[市川團十郎 (9代目)|市川團十郎]]、[[尾上菊五郎 (5代目)|尾上菊五郎]]らの芸を見聞きしていた{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=189}}。村井弦斎研究で知られる[[黒岩比佐子]]は、村井多嘉子が育った環境はけた外れに贅沢な生活であったとし、「文字通りの深窓の令嬢」と形容している{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=189}}。
[[1900年]](明治33年)[[7月5日]]、[[小説家]]で[[報知新聞社]]社員{{Sfn|江原絢子|東四柳祥子|2008|p=78}}{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=190}}の[[村井弦斎]](本名・寛)と結婚{{Sfn|丸島隆雄|2019|p=10}}{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=187}}{{Efn|平塚市博物館の調査によれば、正式な入籍日は翌1901年の1月23日である{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=386}}。}}。[[1901年]](明治34年)には、のちに登山家となる長女・[[村井米子]]が生まれている{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=194}}。村井夫妻はこのほか、5人の子供に恵まれた{{Sfn|星賀典子|2019|p=215}}。
 
結婚当初、夫妻は三田に住んでいたが{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=193}}、結婚翌年の1901年からは[[神奈川県]]の[[大磯町]]にあった後藤家の別荘、さらに[[1902年]](明治35年)には[[小田原市]]へと移り住んだ{{Sfn|星賀典子|2019|p=214}}。この間、夫・弦斎の執筆活動に深く関わり{{Sfn|星賀典子|2019|p=214}}、出版された弦斎の美食小説『[[食道楽 (村井弦斎)|食道楽]]』は、当時としては破格のベストセラーとなった{{Sfn|江原絢子|東四柳祥子|2008|p=78}}。その印税で[[1904年]](明治37年)に[[平塚市]]に1万6000坪余りの広大な敷地を購入し{{Sfn|星賀典黒岩比佐子|20192004|p=215240}}{{Sfn|江原絢星賀典子|東四柳祥子|20082019|p=78215}}{{Efn|当初は5000坪だったが、要望に応じて周囲の土地を買い足していき、最終的に1万6000坪となった{{Sfn|丸島隆雄|2019|p=12}}。}}、この地に居を構えた{{Efn|村井家が平塚市に居を構えた年について、丸島隆雄{{Sfn|丸島隆雄|2019|p=12}}と星賀典子{{Sfn|星賀典子|2019|p=215}}は1904年、黒岩比佐子{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=240}}は同じく1904年の12月とする一方、山本文乃{{Sfn|山本文乃|1982|p=47}}は1906年としている。}}。
 
平塚市の自宅は富士山がよく見え、「対岳楼」と名付けられた{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=240}}。家屋は大邸宅というほどではなかったが{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=241}}、広大な土地に果樹菜園、畜舎、花壇などを配したほか、全国から名産品が持ち込まれ、二人はともに食と健康について実験研究を行った{{Sfn|星賀典子|2019|p=215}}。例えば、果樹園では桃、柿、ビワ、イチジク、梅、ザクロ、菜園では大根、キュウリ、ナス、パセリ、セロリ、レタス、アスパラガス、トマトのほか[[アーティチョーク]]などの珍しい野菜も作っており、畜舎では鶏、ウサギ、ヤギなどを育てていた{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=241}}。油も埼玉で絞らせたごま油、高野山のカヤ油、鹿児島の山茶花油、大島の椿油、外国から輸入したサラダ油といった具合にいろいろなものを取り寄せて試していた{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=243}}。
== 業績・評価 ==
=== 『食道楽』への貢献 ===
夫・弦斎の小説『[[食道楽 (村井弦斎)|食道楽]]』は、当時としては異例破格の10万部{{Sfn|江原絢子|東四柳祥子|2008|p=78}}、シリーズ累計では50万部近くを売り上げるベストセラーとなった{{Sfn|火坂雅志|2004|p=59}}。同作は小説であると同時に、和・洋・中の630種の料理、食に関する知識を伝授する形で展開される料理書の一種でもあり{{Sfn|江原絢子|東四柳祥子|2008|p=78}}、嫁入り道具や食通本として扱われ{{Sfn|星賀典子|2019|p=214}}、美食ブームを巻き起こした{{Sfn|火坂雅志|2004|p=63}}。『食道楽』の執筆に多嘉子は深く関わった{{Sfn|星賀典子|2019|p=214}}。
 
弦斎が『食道楽』を執筆したのは、多嘉子の素人離れした手料理を堪能するうち、食を中心にして近代的な家庭生活を説く実用書を思いついたためとされる{{Sfn|星賀典子|2019|p=214}}。弦斎は、自分でほとんど厨房に立つことがなかったため、料理に関する実践的知識の多くを多嘉子に頼っており{{Sfn|火坂雅志|2004|p=61}}、レシピの考案には多嘉子が協力に当たった{{Sfn|星賀典子|2019|p=214}}。小説の題材は、当初は多嘉子が作る家庭料理の中から選ばれ、その後は多嘉子の親族である[[大隈重信]]から派遣されたコックらの作る西洋料理が使われた{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=157}}。コックの西洋料理についても、試作品を多嘉子が家庭向けにアレンジしていた{{Sfn|星賀典子|2019|p=214}}。このほか、様々な執筆活動に必要な書籍や新聞記事の収集、資料探しなども多嘉子が引き受けており{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=202}}、小説・エッセイの類は、記事に誤りがないかどうかすべて多嘉子がチェックしていたとされる{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=202}}{{Sfn|火坂雅志|2004|p=62}}。
== 家族・親戚 ==
* [[岩崎弥太郎]] - 叔母の養父{{Sfn|丸島隆雄|2019|p=8}}。[[三菱財閥]]創業者。
* [[大隈重信]] - 従伯父{{Sfn|飯田喜代星賀典子|19972019|p=144214}}。[[政治家]]、[[早稲田大学]]創立者。
* [[井上竹次郎]] - 叔父{{Sfn|丸島隆雄|2019|p=8}}。[[歌舞伎座]]経営者。
* [[後藤象二郎]] - 叔父{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=188}}。[[武士]]、政治家。
[[Category:日本の料理研究家]]
[[Category:20世紀日本の女性著作家]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:1880年生]]
[[Category:1960年没]]
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