「村井多嘉子」の版間の差分

m
『弦齋夫人の料理談』(2020) は村井氏執筆部分以外を出典に使うようにしているので、一応{{Sfnref|実業之日本社|2020}}に変更しておきます。
m (定義文が少しくどかったので簡略化。出典2か所をより適切なものに変更。カテゴリ追加。ほか微修正。)
m (『弦齋夫人の料理談』(2020) は村井氏執筆部分以外を出典に使うようにしているので、一応{{Sfnref|実業之日本社|2020}}に変更しておきます。)
[[1906年]](明治39年)には、夫の弦斎が携わっていた料理雑誌『月刊食道楽』<ref name="gekkankuidouraku">{{Cite journal |和書 |journal=月刊食道楽 |volume=2 |issue=1 |publisher=有楽社 |date=1906-01 |pages=48-49}}</ref>や、弦斎が顧問となり{{Sfn|江原絢子|東四柳祥子|2008|p=114}}、日本女性の独立・自立を目指して同年に創刊された{{Sfn|石田あゆう|2000|pp=41-43}}雑誌『[[婦人世界]]』の創刊号<ref name="huzinsekai">{{Cite journal |和書 |journal=婦人世界 |volume=1 |issue=1 |publisher=実業之日本社 |date=1906-01 |page=111}}</ref>で、自身が考案した料理服である[[割烹着]]を発表した{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=225}}。
 
『婦人世界』では、弦斎に代わって料理情報の提供を行い{{Sfn|石田あゆう|2000|p=42}}、同年の夏頃{{Efn|江原絢子・東四柳祥子{{Sfn|江原絢子|東四柳祥子|2008|p=114}}は1906年6月号<ref>{{Cite journal |和書 |journal=婦人世界 |volume=1 |issue=6 |publisher=実業之日本社 |date=1906-06}}</ref>、黒岩比佐子{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=252}}は1906年7月号<ref>{{Cite journal |和書 |journal=婦人世界 |volume=1 |issue=7 |publisher=実業之日本社 |date=1906-07}}</ref>、石田あゆう{{Sfn|石田あゆう|2001|p=64}}は1906年9月号<ref>{{Cite journal |和書 |journal=婦人世界 |volume=1 |issue=9 |publisher=実業之日本社 |date=1906-09}}</ref>からとする。}}から『弦齋夫人の料理談』を連載した{{Sfn|星賀典子|2019|p=215}}。この連載は、同誌の看板記事となり{{Sfn|江原絢子|東四柳祥子|2008|p=114}}、翌[[1907年]](明治40年)から[[1912年]](明治45年)にかけて全4編の単行本として出版された{{Sfn|村井多嘉子実業之日本社|2020|loc=著者略歴}}。連載『弦齋夫人の料理談』の関連シリーズは、この後も『婦人世界』の定番記事として[[昭和]]まで続いた{{Sfn|石田あゆう|2001|p=64}}。[[1913年]]([[大正]]2年)から[[1915年]](大正4年)にかけては、『弦齋夫人の家庭相談』と題し、衛生・家政に関する研究や実験などの様々な知識を披露している{{Sfn|丸島隆雄|2019|p=21}}。このほか、1906年には『[[婦人画報]]』の秋季臨時増刊号にも西洋料理法に関する記事を寄稿した{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=245}}。
 
大正時代に入ってからは、弦斎は[[断食]]や[[木食]]といった健康法を試すようになり{{Sfn|飯田喜代子|1997|p=145}}、世間から奇異な目で見られることもあったが、多嘉子自身も断食に挑むなど最大の理解者として夫を支えた{{Sfn|丸島隆雄|2019|pp=21-23}}。1915年(大正4年)からは子供たちの進学に伴って夫と離れて再び東京へ移り、[[小石川]]麦町、[[伝通院]]前、[[池袋]]に住んだ{{Sfn|丸島隆雄|2019|p=14}}。[[1923年]](大正12年)の[[関東大震災]]の際には自宅を対策本部に提供して配給の[[玄米]]の炊き方を伝授している{{Sfn|星賀典子|2019|p=215}}。
=== 著書『弦齋夫人の料理談』 ===
[[File:Blanc-manger with cocoa powder and almonds.jpg|thumb|「牛乳の葛餅」の原型と考えられているブラン・マンジェ]]
著書に『[[婦人世界]]』の連載を単行本にまとめて出版された『弦齋夫人の料理談』シリーズ(全4編)がある{{Sfn|村井多嘉子実業之日本社|2020|loc=著者略歴}}。同書は、月ごと{{Efn|もっとも、月ごとの問いの数は6月は1問、7月は5問、8月は10問といったようにまちまちである{{Sfn|江原絢子|東四柳祥子|2008|p=115}}。}}に「松茸は如何に択ぶべきか」「大根は如何なる効があるか」といった記者からの問いに村井多嘉子が答える形で構成された{{Sfn|江原絢子|東四柳祥子|2008|p=114}}。質問者はあくまで「一記者」とされているが、弦斎の自筆の原稿が一部残っており{{Sfn|黒岩比佐子|2004|p=252}}、少なくとも記事のいくつかは弦斎が一記者となって書いたものとされる{{Sfn|丸島隆雄|2019|p=18}}{{Efn|丸島隆雄は、記事のいくつかは弦斎によるものとしているが、それ以外は編集者の石塚月亭によるものとしている{{Sfn|丸島隆雄|2019|p=17}}。一方、同書を出版した実業之日本社は、のちに再刊した際に「何を隠そう、その記者が『村井弦齋』本人だったそうです」と紹介している<ref name="j-n">{{Cite web |title=弦齋夫人の料理談 内容紹介 |publisher=実業之日本社 |url=https://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-33938-2 |accessdate=2021-05-05}}</ref>。}}。
 
例えば、当時まだ新しい食品だった[[牛乳]]に関する「牛乳は如何に料理すべきか」という問いに対しては、夏の料理として牛乳の葛餅(フランスの[[ブラン・マンジェ]]のアレンジと考えられる{{Efn|江原絢子と東四柳祥子は、『弦齋夫人の料理談』に掲載された牛乳を葛餅にする料理はフランスのブラン・マンジェのアレンジであると指摘している{{Sfn|江原絢子|東四柳祥子|2008|p=115}}。}})や牛乳羹が紹介されている{{Sfn|江原絢子|東四柳祥子|2008|p=115}}{{Efn|このほか、「薩摩芋のバター焼きは如何にするか」「パンと牛乳は如何にするか」「オムレツは如何に作るか」「薩摩芋と牛乳とは如何に料理するか」「牡蠣のクリームは如何にするか」などの問いで牛乳・乳製品が取り上げられ、扱い方の諸注意や乳製品の見極め方、調理のコツなどが示された{{Sfn|東四柳祥子|2019|p=278}}。}}。料理のレシピ以外にも「朝食はこうあるべき」といった食事の心得も盛り込まれ{{Sfn|小野員裕|2015|p=69}}、[[食育]]の重要性も説かれた{{Sfn|丸島隆雄|2019|p=26}}。[[1909年]]に刊行された第2編では、「弁当料理は如何にすべきか」「学校通ひの弁当は如何にするか」などの問いで子供の[[弁当]]のあり方を取り上げ、弁当に適した料理を紹介したほか、腐敗防止のために梅干を入れることや冷めた米飯の上に温かいおかずを置かないようにすることなど独自の見解を述べている{{Sfn|東四柳祥子|2019|pp=190-191}}。また、[[1912年]]刊行の第4編「玄米応用手軽新料理」では、[[玄米]]の[[脚気]]予防効果を探り、当時の新しい知見の紹介や実験・研究成果の報告をして{{Sfn|丸島隆雄|2019|p=20}}、日本人の常食調理法を一新することを目的とした玄米食を提唱した{{Sfn|星賀典子|2019|p=215}}。
第4編で扱われた玄米研究については、いまだ脚気の原因が[[ビタミン]]不足にあることが分かっていない時代に玄米に着目して研究していたことを丸島が指摘し、「先進的な取り組みであった」と評価している{{Sfn|丸島隆雄|2019|p=21}}。
 
書籍の構成面については、小野が「口語文による記者との問答集になっているのが実にユニークだ」と評している{{Sfn|小野員裕|2015|p=69}}。このような対談形式での進行については、2020年に[[実業之日本社]]から再刊された際の著者略歴によれば、現在のテレビ[[料理番組]]の構成の基礎になったとされている{{Sfn|村井多嘉子実業之日本社|2020|loc=著者略歴}}。
 
=== 割烹着の考案 ===
== 著書 ==
* {{Cite book |和書 |title=弦齋夫人の料理談 |volume=第1編 |editor=石塚月亭 |publisher=[[実業之日本社]] |date=1907-08-10 |doi=10.11501/849018}}
** {{Cite book |和書 |title=弦齋夫人の料理談 |publisher=実業之日本社 |date=2020-06-01 |isbn=978-4-408-33938-2}}没後に1907年出版の第1編を原書に忠実に復刻して出版されたもの{{Sfn|村井多嘉子実業之日本社|2020|p=198}}。
* {{Cite book |和書 |title=弦齋夫人の料理談 |volume=第2編 |editor=石塚月亭 |publisher=実業之日本社 |date=1909-01-28 |doi=10.11501/849019}}
* {{Cite book |和書 |title=弦齋夫人の料理談 |volume=第3編 |editor=石塚月亭 |publisher=実業之日本社 |date=1910-02-02 |doi=10.11501/849020}}
* {{Cite book |和書 |author=星賀典子 |chapter=村井多嘉子 |title=時代を拓いた女たち |volume=第3集 かながわの112人 |editor=[[江刺昭子]]・かながわ女性史研究会 |publisher=神奈川新聞社 |date=2019-07-26 |pages=214-215 |isbn=978-4-87645-597-3 |ref=harv}}
* {{Cite book |和書 |author=東四柳祥子 |title=料理書と近代日本の食文化 |publisher=同成社 |date=2019-10-20 |isbn=978-4-88621-830-8 |ref=harv}}
* {{Cite book |和書 |author=村井多嘉子 |title=弦齋夫人の料理談 |publisher=実業之日本社 |date=2020-06-01 |isbn=978-4-408-33938-2 |ref=harv{{Sfnref|実業之日本社|2020}}}}
 
{{Normdaten}}
331

回編集