「蝶々夫人」の版間の差分

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長崎出身ではありません。
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「蝶々夫人」の舞台となった日本では長らく「『蝶々夫人』のモデルは誰か?」ということが議論されてきた。ロングの実姉サラ・ジェニー・コレルは、1890年代初頭から[[鎮西学院]]五代目校長で宣教師でもあった夫とともに長崎の東山手に住んでいた。ロングは、姉のコレル夫人から聞いた話から着想を得て、小説を執筆したとされている。
 
長年、有力視されていたのは、[[幕末]]に活躍した[[イギリス]]商人[[トーマス・ブレーク・グラバー]]の妻、[[グラバー・ツル|ツル]]である。これは彼女が長崎の武士の出身であると、誤って伝えられたことや、「蝶」の紋付をこのんで着用し「蝶々さん」と呼ばれたことに由来する。長崎の[[旧グラバー邸]]が長崎湾を見下ろす南山手の丘の上にあることも、物語の設定と一致する。しかし、ロングの小説で具体的に記述されている蝶々夫人の経歴に、ツルの生涯と似ている部分があるが、重要部分で異なる点も多いため、モデルと考えるのは不自然との意見もある。一方、グラバーとツルの間に生まれた長男の[[倉場富三郎]]が[[ペンシルベニア大学]]に留学していたこと、ロング本人が、「姉は倉場富三郎に会ったことがある」と語ったと言われることなどは、「蝶々夫人=グラバー・ツル」説を裏付ける要素とされている。ただし、ロングは小説が実話に基づくとは明言しておらず、また、彼自身がアメリカ[[士官]]を貶めているともとれる小説の人物設定について多くの批判を受けていたこともあり、真相は曖昧にされたまま現在に至る。
 
ツルが最初の結婚でもうけた娘・センの子孫の調査によると、ロングの小説『マダム・バタフライ』に登場する家がグラバー邸内と酷似していることと、ロングがのちに書いた戯曲『マダム・バタフライ その20年後』の原稿に「Dam. Too-ri」とメモがあり、ツルと読めることから、ロングはツルを下敷きにしていたと思われるが、内容自体はツルの経歴とは異なり、創作である<ref>[http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20091112/209561 女一人、執念で突きとめた真実 父の遺志をつぎ汚名と誤解を晴らすために戦い続けた人生]日経ビジネス、2009年11月13日</ref>。