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[[1980年代]]初め、コンウェイは[[国防高等研究計画局|DARPA]]で働いた。その間彼女は現在の[[自律システム (インターネット)|自律システム]]を含む[[インターネット]]の基礎となる研究もおこなった。その後、[[1985年]]、[[IEEE]]フェローに選出、[[ミシガン大学]]の教授となった。1989年、[[全米技術アカデミー]]に選ばれた。<!-- 何に? フェロー? --> 1998年にミシガン大学を引退し、同大学の名誉教授となった。
 
[[1998年]]12月の引退後、完全に女性として生きていくことを決めた。1999年、IBMでの話が公けにされ、以来コンウェイは性転換を望む人々の代弁者として活動している。特に[[レイ・ブランシャール]]([[:en: Ray Blanchard]])の[[オートガイネフィリア]]や[[性転換症]]を[[同性愛]]と結びつけ[[パラフィリア]]や[[性的倒錯]]とみなす考えに厳しい批判を行った。そして[[モロッコ]]在住の[[フランス]]人形成外科医[[ジョルジュ・ビュルー]]([[:en: Georges Burou]])や[[ジョン・ホプキン大学]]での翻転法の造膣術を中心とした[[性別適合手術]]の詳細を紹介した論文やの顔の女性化の形成手術について紹介した論文を執筆した。([[性別適合手術]]の項目の外部リンクを参照)そして今日に至るまでを[[MtF]]中心に世界の性別移行([[性同一性障害]])の当事者を支援し、とりわけ米国のトランスウーマン([[:en: transwoman]])の地位向上にも多大な貢献をした。
 
[[2002年]]、コンウェイは1988年から付き合っていた男性と結婚した。