「沼津藩」の版間の差分

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忠成の死後、第3代藩主・[[水野忠義]]や第4代藩主・[[水野忠武]]らは、[[天保の改革]]を行なった[[水野忠邦]]から家斉派に対する粛清として、様々な普請を負担するという報復を受けた。
 
第6代藩主・[[水野忠寛]]は[[井伊直弼]]に同調して[[側用人]]として幕末期に権勢を奮った。第7代藩主・[[水野忠誠]]は佐幕派として功を挙げ活動しが、第8代藩主・[[水野忠敬]]は[[慶応]]4年([[1868年]])の[[戊辰戦争]]で新政府に協力したが、[[徳川家達]]が東海地方に入ってきたため、新政[[駿藩]]を立藩するより伴い、[[明治]]元年([[1868年]])7月に政府の命により上総[[菊間藩]]に移封され、沼津藩は廃藩となり、跡地は駿府藩領となった。
 
== 城地 ==