「生きる (映画)」の版間の差分

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== 製作 ==
[[file:Oguni Hideo.JPG|thumb|190px|本作の脚本に参加した[[小國英雄]](1948年)。]]
脚本は[[黒澤明]]、[[橋本忍]]、[[小國英雄]]の共同執筆である。物語の骨子は黒澤が決めたが、黒澤は小國に死を宣告された人間がどのように生きるかを、[[レフ・トルストイ|トルストイ]]の小説『イワン・リッチの死』を元にして描きたいと話したという{{sfn|研究会|2004|p=36}}。黒澤は橋本に「後、75日しか生きられない男」というテーマを提示し、橋本が先行して第1稿を書き上げた{{sfn|橋本|2006|p=81}}。[[1952年]]1月初旬、黒澤と橋本は[[箱根]][[仙石原]]の旅館「仙郷楼」で決定稿の執筆作業を開始し、小國は4日目に遅れて合流した{{sfn|橋本|2006|pp=90-91}}。脚本執筆は黒澤と橋本が同じシーンを書き、それを小國が取捨選択するという方法で進められた<ref name="大系2解説">[[浜野保樹]]「解説・世界のクロサワと挫折―『生きる』」({{Harvnb|大系2|2009|pp=674-677}})</ref>。当初のタイトルは『渡辺勘治の生涯』だったが、黒澤の提案で『生きる』に変更した{{sfn|橋本|2006|p=101}}。2月5日に脚本は完成した<ref name="年表">{{Cite journal|和書 |author=浜野保樹 |date=2009-4 |title=黒澤明 関連年表 |journal=大系黒澤明 |volume=4 |publisher=講談社 |isbn=9784062155786 |page=812}}</ref>。
 
3月14日に撮影開始した<ref name="メモ">{{Cite journal|和書 |author= |date=1988-1 |title=製作メモランダ |journal=全集黒澤明 |volume=3 |publisher=岩波書店 |isbn=9784000913232 |page=370}}</ref>。6月2日にお盆用映画にスタジオを明け渡し、6月16日まで撮影を一時中止にした<ref name="メモ"/>。9月中旬に撮影終了した<ref name="メモ"/>。主なロケ地は、野球場が[[新宿区|新宿]]の東京生命球場、プラットホームが[[両国駅]]、アイススケート場が[[後楽園]]、遊園地が[[としまえん|豊島園]]である<ref name="メモ"/>{{sfn|丹野|1998|pp=50-51}}。歓楽街は[[東宝スタジオ]]にある銀座街のオープンセットを利用して撮影された{{sfn|丹野|1998|pp=50-51}}。[[キャバレー]]のシーンでは、スタジオ内に[[新橋]]のキャバレー「ショウボート」を参考にしたセットを作り、本物のホステス250人を自前の衣装で出演させた{{sfn|丹野|1998|p=47}}{{sfn|堀川|2000|p=156}}。