「ジェームス・ダグラス」の版間の差分

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[[1987年]]5月30日、空位の[[国際ボクシング連盟|IBF]]世界[[ヘビー級]]王座を[[トニー・タッカー]]と争い、10回TKO負け。
 
[[1990年]]2月11日、[[マイク・タイソン]]の持つ[[世界ボクシング協会|WBA]]・[[世界ボクシング評議会|WBC]]・IBF世界ヘビー級王座に挑戦し、10回KO勝ちで王座を獲得([[マイク・タイソン 対 ジェームス・ダグラス戦]])。[[リングマガジン アップセット・オブ・ザ・イヤー]]に選出された。強打で恐れられたタイソンに勇気を持って立ち向かい、タイソンを初めて破った選手となった。しかしこの試合はダグラスがダウンした際に実質13秒のロングカウントが為されたとされ、試合後に法廷闘争に発展。「疑惑のロングカウント」によりダグラス自身もボクサーとして正当な評価を得られなかった。タイソン戦を巡っての法廷闘争は後に1度目の引退後に至るまで深刻な精神的ダメージを与えた。ダグラスは当時を「私はチャンピオンになったが、それは悪夢だった」と振り返っている<ref name="ダグラスの栄光と苦闘" /><ref>{{Cite web|url=https://spaia.jp/column/boxing/10249|title=マイク・タイソンがリング復帰?波乱万丈のボクシング人生|publisher=【SPAIA】スパイア|date=2020-05-02|accessdate=2020-11-16}}</ref>。
 
1990年2月23日、プロレス団体の[[WWE]](当時WWF)に特別レフェリーとして出演。試合を裁いた。元々はタイソンが特別レフェリーを務める予定だったが、KO負けしたことでダグラスが代わりを務めることになった。