「スターリング・ヘイドン」の版間の差分

編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
 
生まれた時の名前はスターリング・レルイエア・ウォルター(Sterling Relyea Walter)だった<ref name="wanderer">Hayden, Sterling (1964). Wanderer. Bantam. ISBN 978-1-57409-048-2, pp. 65-66, 76, 354</ref><ref>United States Census for 1920, Montclair Town, Essex County, New Jersey, Sheet 6B</ref>が、父と死別し、母が再婚したことから、以後継父の姓であるヘイドンを名乗ることになる。銀行のメッセンジャーボーイ、船員、消防士などの職を転々とし、友人の紹介で[[パラマウント]]・ピクチャーズと俳優として契約を結ぶ。デビュー時のキャッチコピーは「映画史上最も美しい男優」だったが、彼自身は映画界に長くとどまるつもりはなかった。
 
[[第二次世界大戦]]中、ヘイドンは[[Office of Strategic Services|戦略情報局]](OSS)のエージェントとして活動した。OSS長官[[ウィリアム・ドノバン]]は、船員として働いていた頃に偶然出会って以来の友人だった。1941年、2本の映画に出演した後、ヘイドンは映画界から離れ、ドノバンを通じてスコットランドにある[[ブリティッシュ・コマンドス]]訓練課程への参加を志願した。彼はこの訓練課程への参加が認められた唯一のアメリカ人であり、また一切事前の訓練を受けていない唯一の「素人」であった。降下訓練中に負傷し帰国を余儀なくされると、ヘイドンは[[アメリカ海兵隊|海兵隊]]に志願した。この際、俳優の売名目的の入隊と軽んじられることを避けるため、ジョン・ハミルトン(John Hamilton)の偽名を使った。海兵としての基礎訓練の後、船員としての経験を活かせる道を模索し、ドノバンに[[情報調査局 (アメリカ)|COI]](OSSの前身)への配属を申し出た。1943年にはエージェントとして[[コルチュラ島]]に派遣され、[[ヨシップ・ブロズ・チトー]]指揮下の[[パルチザン (ユーゴスラビア)|パルチザン]]の援護に当たった。この任務での功績のため、[[シルバースター|銀星章]]を受章している<ref name="CIA">{{Cite web |author= |url= https://www.cia.gov/stories/story/sterling-hayden-hollywood-star/ |title= Sterling Hayden: The Hollywood Star That Left the Silver Screen to Become a Spy|website= |publisher= [[中央情報局|CIA]] |date= |accessdate=2021-07-10}}</ref>。
[[第二次世界大戦]]が始まると、[[情報調査局 (アメリカ)|COI]](後の[[Office of Strategic Services|OSS]]<ref>[http://www.cnn.com/2008/US/08/14/spies.revealed.ap/index.html ''Chef Julia Child, others, part of WWII spy network''] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20080814145107/http://www.cnn.com/2008/US/08/14/spies.revealed.ap/index.html |date=2008年8月14日 }}, Associated Press. CNN.com, August 14, 2008.</ref><ref>Schlesinger Robert, [http://www.usnews.com/articles/opinion/2008/08/20/arthur-schlesinger-jrs-not-so-secret-career-as-a-spy.html "Arthur Schlesinger Jr.'s Not-So-Secret Career as a Spy : My father's OSS records reveal no James Bond, but a World War II career like so many others"], US News and World Report, August 20, 2008</ref>)に志願して映画界から離れることになる。COIでは偽名を名乗り、[[ユーゴスラビア]]で[[パルチザン (ユーゴスラビア)|パルチザン]]のゲリラ活動を支援する任務につく。
 
戦後、[[マッカーシズム]]が台頭して[[下院非米活動委員会]]が結成され、ハリウッドにおける[[共産主義者]]のリストアップを開始すると、大戦中にユーゴスラビアの[[チトー]]など共産主義者たちと交流を持っていたヘイドンにも追及の手が伸びる。大戦中のヘイドンは共産主義を強く支持していたものの、後には共産主義者に「騙されて」いたのだと認めている<ref name="CIA"/>。ヨットを購入した借金の返済をするために映画界への復帰を願っていたヘイドンは、追及をのがれるために協力的密告者として証言台に立ち、そのことが後の彼の人生に暗い影を落すことになる。
 
[[ターザン]]役をオファーされるが断り、[[ジョン・ヒューストン]]監督の『[[アスファルト・ジャングル]]』に主演。以後、[[1950年代]]アメリカ映画を象徴する[[フィルム・ノワール]]と[[西部劇]]のスターとして活躍するようになり、[[スタンリー・キューブリック]]や[[ニコラス・レイ]]といったこの時代を代表する監督たちの作品にも主演した。