「レインボー・ウォーリア号事件」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
40行目:
[[11月22日]]、ニュージーランドでフランスのエージェント2人に対して[[禁固]]10年の判決が下された。2人はニュージーランドの[[検察]]が[[起訴]]内容を[[殺人]]から[[故殺]] ([[w:Manslaughter|Manslaughter]]) に切り替えたのを受けて起訴事実を承認していた。レインボー・ウォーリア号に実際に爆弾を仕掛けたのが誰なのかニュージーランド警察は把握しておらず、殺人罪での審理進行を困難と判断したため、[[司法取引]]を行ったと見られているが、フランス政府とニュージーランド政府との間での政治交渉の結果と見る向きも当時から多い。
 
裁判に前後して、フランスはエージェントの身柄引き渡しを強く求め始めた。もしそれが叶えられないならば、フランスへのニュージーランド産物品の[[輸入]]禁止処置を取るのみならず、[[欧州諸共同体]]への影響力を行使して[[西ヨーロッパ]]の市場からニュージーランドを締め出すと[[威嚇]]した。一方[[ニュージーランドの首相|ニュージーランド首相]][[デビッド・ロンギ]]は、そのような不当な圧力には屈しないという姿勢を示したものの、ニュージーランドは農産物の[[輸出]]に経済の大きな部分を頼っている国で、輸入禁止はとても痛かった。また当時ニュージーランドは[[ANZUS危機]]危機の真っ最中で、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]にも、[[宗主国]][[イギリス]]にも冷淡な姿勢をとられて外交的に孤立無援の状態だった。さりとて安易に妥協すれば[[世論]]の突き上げを食らうのは必定で、ロンギは国民に一方的譲歩と受け取られない形で、打開策を見つけなければならなかった。
 
そこでニュージーランドは[[オランダ]]の仲介のもとにフランスに対して、この件を[[国際連合事務総長|国連事務総長]][[ハビエル・ペレス・デ・クエヤル]]の裁定に委ねるのはどうかと提案、フランスもこれを了解した。[[1986年]][[7月6日]]に、フランスはニュージーランドに1300万[[NZドル]]払い、2人は引き取られて[[フランス領ポリネシア]]にある[[トゥアモトゥ諸島]][[ハオ環礁]]の施設に3年のあいだ居続けるという裁定内容が決定され、[[7月9日]]に両国は書簡を交わしてこの決定を承諾し遵守するという協定を結んだ。